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言葉を書き出すことから、気付くこと
モーニングページを書いています。
朝のジャーナリング。
朝起きて、いろいろ書き出しています。
はじめのうちは、頭の中のもやもやを書いていました。
できていないことにダメ出しをしていたり。
やっぱり無理じゃないのかなと思っていたり。
そのうち、わたし自身を応援するようになってきました。
言葉を書き出していくことから起こる気付き。
この気付きから、わたし自身の背中を押すことが起こっています。
そんな変化を感じる最近。
先日書き出したことから、残しておこうと思います。
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"聴くこと"を学びはじめてから、何年経つだろうか。
本音を話すことができないその人が、
少しでも本音を話せたら、自由になれそうな気がして。
本音を話せる場をつくりたい。
そう思ったときから、
トライアンドエラーを何度も、何十回も繰り返しての、いま。
同じような場面があった、ちいさなときの記憶。
大人の力に影響されて、本当の気持ちが言えない。
大人と大人に挟まれたちいさな人の、泣きたそうな表情。
わたしはまだ子どもで、何もできなかったとき。
あのときの想いから、
その人を聴くことをやろうとしているような気がする。
ちいさな人たちが、
自分の想いを大切に生きることができるように。
どんな状況であっても、
自分の人生を自分の足で歩んでいけるように。
だからわたしは、
ちいさな人たちの育ちを見るところにいるのかもしれない。
その人がその人らしく育つように。
"聴くこと"を学び、実践していくことを続けていこう。