問いとポエムについて考えてみた
こんにちは。HackCampでコミュニティマネジャーを担当している宮島真希子です。
HackCampマガジンでは初の投稿となります。よろしくお願いします!
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人間の世界は忙しなく、時は過ぎていきますが、2021年度が始まりすでに1カ月が経とうとしています。HackCampがある東京はすっかり新緑が濃くなり、日射しがまぶしい季節になりました。きょう4月29日・みどりの日から、ゴールデンウイーク(GW)も始まりました。
2021年の今年も、昨年に引き続いて奇妙な不安のなかで迎えたGWではありますが、新年度にトップに入れていたギアを少しスローダウンできる時間はありがたいですよね。
HackCampでも、この時間を活用して本日から5月5日までの8日間にわたり、メンバーが1人ずつ、ブログを書くミニチャレンジをすることになりました。「なぜこのチャレンジをすることにしたのか」という理由ををちょっとだけ紹介すると…。
わたしたちHackCampは今、創業当初から掲げてきた「イノベーションを民主化する」というビジョンの再構築に臨んでいます。
イノベーションの民主化について
Covid-19が世界に広がってから、この2年で世界は激しく変わりました。
これからも変化は続き、「これまでの当たり前」が次々と終わり、「よりよい社会」を目指す試みが膨大に生まれては消える、そんな時代を迎えています。
そうした激動のなかで、HackCampが目指す社会にはどんな風景が広がっているのか、その社会を実現するために私たちが担うべき仕事は何なのかを、キャンプに集うメンバーひとり一人が探索する必要を感じていました。
よりよい社会を創るための手段である「会社という乗り物」の行き着く先を、私たちはどこに設定しようとしているのか、そもそも「よい社会」って何なのか…。
Whyを何度も積み重ねながら、それぞれの前提を問い直しつつ、この変わってしまった世界で私たちができること・成し遂げたいことを探っています。
このブログリレーは、そんな探索の旅を続ける「8人の私」たちそれぞれによる、現時点でのカジュアルな記録です。HackCampのベースキャンプのlogbookの1ページです。GWのすき間に、それぞれの個性が少しでも読んでくださるみなさんに伝わるといいな、と願っています。
1日目はわたくし、宮島真希子がこのブログリレーの「型」を紹介しながら、綴っていきます。
問いは最もシンプルな個の発露
さて、このブログリレーには共通の「縛り」があります。
それは「問いと詩」。”QuestionとPoem”です。
ふだん「デジタルトランスフォーメーション」だの「バックキャスティング」だの、横文字を臆せず使って仕事をロジカルにガシガシ進めている私たちですが、なぜ、とても主観的な「問い」や「詩」を意識したのか?
HackCampは、ウェブサイトをごらんいただければわかるように「組織の変革」「チームの変革」を焦点にしているサービスが多いです。言い換えれば「個の変容についてのワークは、さほど注意を払っていない」ようにも見えます。
ただ、実際は「個とチームを往復する作業」が埋め込まれていて「内省と共有」をなんども繰り返す構造になっているのです。メチャクチャ個人で頭を使い、手を動かすワークになっていて、激しく脳が疲労し、甘いもの必須です。個からチームへ、チームからさらに大きな単位の組織へという流れを私たちは大切にしています。
個人的な視点ですが、HackCampのメンバーは「個の違和感・アイデアを生かすことが、幸せな創造の原点である」ことを信じているところがあります。
対話の場づくりのプロとして、さまざまなメソッドを使っているHackCampですが、最近わたしたちが内省と共有の両面で「パワフルだ」と感じているのが「問い作りのワーク」です。
※「問い作りワーク」についての詳細はこちらの記事をごらんください。
「問い」って不思議ですよね。
その人の経験・環境・想像力から降りてくる。善悪の価値判断より前に、ふと、生まれてきてしまう。その人だからこそ生み出せる、とてもパーソナルな思考が「問い」なのではないでしょうか。「問い作りのワーク」では、限られた時間ではありますが「私だから/あなただから考えることができた」問いをひたすら出します。
今回のブログリレーは「新しいビジョンをつくるための試みの一環」と書きましたが、私たちはその新たなビジョンを「ありきたりの借りてきた言葉」で創るつもりはありません。
もしかしたら、最終的にはわかりやすくシンプルな言葉に落ち着くかもしれませんがそれはメンバー全員、それぞれの「パーソナルな願い」を源流にしたものでありたいと願っています。
その1つの発露が、このブログの一端で示される「問い」なのかな、と不肖・宮島は思っています。
そして、なぜあえて「Poem」なのか
「詩って重要だな」と改めて思ったのは、台湾デジタル担当大臣・オードリー・タンさんのオンライン講演を聞いた時でした。
オードリーさんが講演の最後にレナード・コーエンの「Anthem」の一節を紹介したとき、彼女のパッションの一端が鮮明に伝わってきました。同じ講演を違う場所で聞いていた友人は「引用された詩を聞いて、ゾクッとした」と話していましたが、その通りハートに来たというか、「腑におちた感」がハンパなかったのです。
「すべてのものには割れ目がある/そこから光がさす」(講演での通訳)
「ものにはすべて 裂け目がある そうして 光が差し込むのだ」
(文芸春秋著作での翻訳)
割れ目を壊れた場所としてとらえるのではなく、「光が差し込む道筋」ととらえる転回が、オードリーさんの希望の持ち方・エネルギッシュな行動の哲学の核にあることを、詩の1行が照らし出してくれました。
もう一つ、「詩=ビジョン」だと認識したのは今年(2021年)1月のバイデン大統領就任式で、22歳の詩人・アマンダ・ゴーマンさんの朗読を聞いた時でした。
ゴーマンさんがたたみかける言葉が、アメリカという国の未来イメージを豊かに描きだしていく現場を目撃したわけですが、具体的な政策説明ではなく「詩」こそが目指したい風景を描くツールであり「このイメージの共有から新たな政治を始めるのだ」という在りように、激しく嫉妬してしまいます。
日本であれば、まさに「ポエムいってるんじゃないwww」と嘲笑されたり、「青臭い!具体的じゃない!」って言われそうですよね。
で、ここで私からの問いかけです。
ビジョンとしての「ポエム=詩」を失っているから、私たちは迷走しているのではないでしょうか?
「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから」(By Kenji Miyazawa)
最後に&おまけで、日本の詩人が書いた童話の一節を紹介して、次の同僚にブログリレーのバトンを渡します。
お休みできる方はよいGWを。
そして日々、休みなくさまざまな現場で奮闘してくださっている皆さんにもほっとできる時間があることを祈っています。
「そうだ、ぼくらはみんなで一生けん命ポラーノの広場をさがしたんだ。けれども、やっとのことでそれをさがすと、それは選挙につかう酒盛りだった。けれども、むかしのほんとうのポラーノの広場はまだどこかにあるような気がしてぼくは仕方ない。」
「だからぼくらは、ぼくらの手でこれからそれを拵えようでないか。」
「そうだ、あんな卑怯な、みっともない、わざとじぶんをごまかすような、そんなポラーノの広場でなく、そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えば、もう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢がよくて面白いような、そういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」
「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから。」
〜青空文庫 宮澤賢治 「ポラーノ広場」