【第10回】第二次ナゴルノ=カラバフ戦争から4年—Victory Parkを訪ねて感じる真の「国交正常化」とは
皆さま、お久しぶりです。8月以来の更新になります。
週一回の投稿を目指していましたが、学業の多忙さに圧倒され更新できずにいました。怒涛の1学期が終了し、冬休みに入ったため3ヶ月間溜めておいたトピックを順次書き記していきたいと思います。
今回は11月8日の「勝利の日」について投稿したいと思います。アゼルバイジャンで11月8日は「勝利の日」として知られています。何を祝うかというと、2020年9月に勃発したいわゆる第二次ナゴルノ=カラバフ紛争での勝利です。
ナゴルノ=カラバフ紛争とは、1990年代に発生したナゴルノ=カラバフの領土を巡るアルメニアとアゼルバイジャンの武力衝突です。死者4万人以上、約100万人のアゼルバイジャン難民、約35万人のアルメニア難民が発生したとされるこの紛争は、1994年にソ連崩壊直後のロシアによる仲介で停戦に至るも実質アルメニア側の勝利でした。アルメニア側は係争地であるナゴルノ=カラバフの領土と、その周辺のアゼルバイジャンの領土(バッファーゾーン)を合わせて約20%を支配下に起きました。
その後、2020年にいわゆる第二次ナゴルノ=カラバフ紛争が発生し、再度ロシアによる仲介で停戦に至り、アゼルバイジャンはバッファーゾーンのほぼ全てと、ナゴルノ=カラバフの約半分の領土をアルメニア側から取り返しました。
事実上の勝利で、停戦に至ったとされる11月8日をアゼルバイジャンでは「勝利の日」と定め、多くの国民がお祝いすると同時に、ナショナリズムが高まる日でもあります。
アゼルバイジャンの首都バクーでは、この領土奪還を記念して造られた「Victory Park」があります。筆者は11月8日の勝利の日にVictory Parkを訪れました。
バクーでは、街中でアゼルバイジャン国旗を目にすることが少なくないですが、11月8日は特に国旗の掲揚が多いと感じました。建物に多くの国旗が掲げられているだけでなく、電子掲示板にも国旗が写し出されていました。
Victory Parkは大きなモニュメントが目印です(ドラえもんの秘密道具、ガリバートンネルの巨大版のようです)。筆者がVictoryParkを訪ねた際には、献花する個人や、学生の集団、大人の団体など多くの人々が献花するため公園に足を運んでいました。
モニュメントを潜ると献花台があり、多くの人が献花を行なっていました。さらに、リポーターがテレビ中継を行っていたり、説明を聞く団体の一行がいたり、意外と騒がしかったのでが印象的でした。
筆者の帰宅間際、人々が道端に集まっていたので覗いてみました。軍服を着た男性を中心に、歌を歌いながらアゼルバイジャン国旗を靡かせ勝利の日を祝っていました。また、アゼルバイジャン国旗と同時にトルコ国旗も確認することができます。トルコはアゼルバイジャンと同じトゥルク系の民族で、アゼルバイジャン語とトルコ語は極めて近い関係にある言語です。政治的にも「One Nation two states」というスローガンを掲げ、親密さをアピールしてきました。2020年の戦争でも、トルコ製のドローンが勝利に貢献したとされています。その関係の近さは市民レベルまで浸透していることが、この靡くトルコ国旗から感じ取れるかもしれません。
後半には、アルメニア国旗を踏みつけている人々を目撃し、アゼルバイジャン人のアルメニアに対する憎悪を感じました。停戦からちょうど30年しか経過していないので、アジア・太平洋戦争と異なり、当時紛争に参戦した軍人や難民となった人々が今も多く存命しています。現在の若者は戦争経験者世代から離れておらず、当時の記憶が克明に子どもたちへと伝えられているのは想像に難くありません。アゼルバイジャン人にとって、領土を取られた記憶や、アルメニア側の攻撃によって多数の難民が発生した残酷な過去は、現在どの世代にも共有されているのでしょう。
2023年9月、アゼルバイジャンは「対テロ作戦」と称し、ナゴルノ=カラバフを統治するアルメニア系住民に対し、軍事攻撃を行いました。現地のアルメニア系住民はなす術なく、1日で降伏しアゼルバイジャン側が残りの全ての領土を支配下に収めました。
現在、アルメニアとアゼルバイジャンには国交がなく、国交正常化交渉が欧州や米国の仲介により続いています。政治的に妥協し国交正常化を成し遂げたとしても、市民レベルでの憎悪が薄れるには時間がかかることです。アルメニア人のアゼルバイジャンに対する憎悪もまた同様でしょう。真の「国交正常化」は時間が掛かるのではないでしょうか。