骨折27日目〜『死にがいを求めて生きているの』読書感想文〜
骨折生活27日目です。
3週間縮こめて動かさずにいた腕を動かすようになって5日。
まだ痛いけど、動くようになってきました。
リハビリのため、右手の人差し指でもスマホをいじっています。
リハビリなのか?
リハビリでしょう。
5日前には、人差し指だけ曲げるということが出来なかったのですから。
まだちょっと痛いし、スッとは動かせませんが、動くようになってきました。
本日の記事は、小説『死にがいを求めて生きているの』の読書感想文です。
私は小説をほとんど読みません。
今まで読んだ小説は、映画化され、その映画を観た後のもの数冊。
苦手なんです。小説。
人を覚えたりするのが苦手だし、場面切り替えされるとついていけなくなります…💧
映画化されたものだと、あ、これは戸田恵梨香だとか、これは大地真央だとか想像がつくので読めるし、過去に戻ったりといった場面転換も映画を観ていれば、あ、なるほどとわかるのです。
なので、小説はほとんど読まない私。
ではなぜそんな私が小説を読んだのかというと…。
こちら
な、な、な、なんと、ミイコさんから
「私はららみぃたんさんの感想文の大ファンです。もしよかったら、この本を読んで感想書いてもらえませんか?」とのコメントをいただいたのです‼️
ひゃー‼️嘘でしょ‼️
あの、ミイコさんに⁉️
大ファンって‼️
大っていうのは、盛って言ってくださったとしてもファンというのは残る😁
めっちゃ嬉しい❣️
めっちゃ光栄❣️
ってなわけで、私は木に登る勢いで本屋さんに行き、ワクワクしながら買ったわけですよ。
…が、私のワクワクとは反比例して、本の字は小さく、分厚かった…💧
私にこれが読めるだろうか…そんな不安を抱えながら月日は過ぎていった。
ちょこちょこ読んではいたものの、なかなか読み進められない。
そうこうしているうちに、私は骨折して、引きこもり生活に入った。
もう、これって読めってことよね?
と、思いつつ、やはり小説が苦手な私は、なかなかその世界観に入っていけなかったというのが本音だ。
苦手な場面転換もあるし、人は色々出てくるし、過去に行ったり、違う人たちの話になったり…。
んー…。どうやってこれを読んでいったらいいんだろうか…。
感情移入も出来ないし…。
私は悩みながら、遅い速度で読んでいた。
ところが、だ‼️
本の半分を過ぎた頃だった。
色々な点と点が繋がり始めた。
人と人が繋がり始めた。
さらに、この作者というか、登場人物というかの隠されていた思いが見え隠れするようになってきた。
すると、徐々に私の本を読み進めるスピードも速くなっていった。
本の半分を過ぎた頃ようやくこの小説の面白さに気づき始めた。(遅っ❗️)
読み進めていくうちに、あ…なんだろ…この感覚…と、心の中で不思議な感覚が芽生えていた。
この子が言いたいこと、隠したいことがわかるようなわからないようなそんなことも感じるようになってきたのだ。
全く上手くいえないんだけど、なんともいえない感覚が自分の中に生まれ始めたのだ。
今回、ミイコさんに感想文をお願いされて書いていますが、私は感想文が得意なわけではありません。
感想文を書くことは好きですが、私の感想文は、語彙力も皆無ですし、的外れだったり、自分の思考に偏っています。
ミイコさんがファンと言ってくださったのは、私の感想文や文章が上手いからというわけではありません。
ミイコさんの中にある何かが、私の文章の何かにヒットしてくださったのだと思います。
なので、期待しないでくださいね…という逃げを先に書いちゃいます😅
しかも今回は、初めての小説の感想文…。
どんなふうに書き上げるのか、この時点で終着駅を考えていません。
思うまま、カッコつけずに書きたいと思います。
なので、この感想文は、私の心の声ダダ漏れとしてお読みいただければ…と思います。
ってなわけで、本日のテーマ『読書感想文』スタートです❣️(え?始まってなかったの?)
人はみな、大なり小なり『何者』かになりたいものだと思う。
もしくは『何者』かになりたいと、もがいていた時期があると思う。
小説に出てくる登場人物6人も『自分の生きる価値』を見出すために何かに打ち込んだり、情熱を燃やしている。
誰かのため、何かのためと、言いながら、それはみな自分を『何者』かにしたいためなのではないか?
そんなことを私は考えた。
私はこの骨折を機に内観をし始め、自分が今まで、ダンナのお母さんのようにならなきゃと思い込んでいたり、そうはなりたくないんだということに気づいたり、自分の産みの母親のようになりたくないといったことからの言動があったことなどの発見があった。
私の中で『何者かにならなくては価値がない』と思い込んでいたからだ。
「あなたはあなたのままでいい」と言われても素直に『私は私のままでいい』と簡単には思えなかった。
何か、私に武器があったなら…そんなことも思う。
つまり、私の強み。
『あなたはこれが1番凄いよね』と褒めてもらえる何か。
『私はこれだけは負けないんです』と言える強み。
だけど、そんなものはない。
ないから、いつもどこか不安で、ブレてしまい、何かに自分の価値を見出して欲しくなることがある。
あ、こんなこと書いてますが、そんなに深く考えているわけではないです。
なんとなく、モヤッとなんです。
だから、この本を読んでいて、そのモヤッとに触れた時、わかるような、わからないような感覚に陥ったのだと思います。
noteをやっていると、
「ららみぃは、文章書くのが上手いから、凄いよね。後々は本とか出したりするんじゃない?」「作家デビュー、出来るよ」なんてことを言ってくるリアル友だちがいる。
私がnoteをやっていることを知っているのは、リアル友だち数人だ。
ほとんどの友だちは、私の記事を読みに来ることはない。
ほっといてくれる。
それは私にとってありがたい環境。
だけど、このnoteの記事をちゃんと読まないで、軽く『小説化』だの『本の出版』だの言ってくる人も中にはいる。
本人は、いい意味で言ってくれているのはわかっている。
妄想好きの私。
言いたくなる気持ちもわからなくはない。
だけど、私はこう言われるのが苦手だ。
私の文章は、決して上手くはない。
書くのが好きなだけだ。
しかも書けるからといって、本を出版するなんて、おこがましいと思ってしまう。
本にするような中身も備わっていないし…と。
と、そんなふうに否定してしまうけど、私だって少しは考えたことがある。(あるんかーい💦)
『作家になる』『本を出版する』それは何者かになるためにはいいアイテムなのだ。
が、noteを始めてすぐにそんな甘い考えは打ち砕かれた。
それは、先ほど書いたように、自分には何一つ備わっていないとわかったからだ。
人に伝えたい知識も知恵も他の人が体験したことのない経験も何もなかった。
だけど、私は今日もnoteを書いている。
それは、何者かになるためではなく、私が私になるためだ。
なーんて、かっこいいこと書いてみたけど、結局のところ、書くことが好きだし、noteが好きだから。
何者でもない私と繋がってくれている人がいるから。
あ、そっか。
何者にもならなくていいnoteで、私は、私になると思い始めているのに、何者かになりなよと言われるのが嫌なのかもしれない。
ここは、私の居場所なんだ。
今、書きながら思った。
小説を読んでいて、この若者たちは、人と比べなくていい『オンリーワン』の価値観の中で生まれ育った。
だけど、その『オンリーワン』というのも苦しみがある。
誰かと比べることはない。
それは世間からも言われているけど、そうしたところで、自分の立ち位置がわからない。
自分の生きている意味がわからない苦しみを抱えているように思えた。
満たされていい環境なのに、満たされない何かがあり、不安感がついてまわる。
自分自身の価値、生きる意味を見つけ出すことが出来ず、自分から逃げようとしているようにも思えた。
逃げるための手段として、没頭しているふうの何かをしていると感じた。
そこにいないと、自分は生きていていいのか不安になるのだろう。
教科書に載るくらい凄い人にならなくてもいい…だけど、学校や地域の中で「あの人凄かったね」という存在になりたい。
その他大勢ではない、特別な人になりたい。
そんな感じ。
そしたら生きていていいと周りも自分自身も思えるようになるんじゃないかと、探している。
やりたいことを見つけるとか、何かに打ち込むとか、情熱をかけるとか、簡単に見つからない人もいる。
ない人だっている。
夢を追いかける人もいれば夢を追いかけない人もいる。
夢を持てない人だっているんだ。
そんな時『価値のない人』というものが自分を苦しめるのかもしれない。
だけど、夢のない人に価値はないのか?
そんなことはない。
だけど、自分が何が好きなのかわからず、何かに打ち込める何かがなかったり、誰かの役に立っている感覚がない時、自分を無価値と思ってしまう時があるのかもしれない。
だから、何かをして、何者かになりたいと思うのだと思う。
そこには、他者からの賞賛があって初めて認められるものになってしまうけど…。
だから、いつまで経っても空虚感は埋まらない。
何か違う…だけど、ここで辞めたら、自分には生きている価値がないんじゃないかという不安感と恐怖心で、自分と周りをごまかして、何かターゲットを決めて打ち込んでいるふりをしている気がする。
この小説は、若者が中心の話だけど、親世代でも同じように、自分の価値を他者に求めてしまうケースもあると思う。
「この子は私がいないとダメだから…」と世話を焼きすぎて、子どもが親離れしないようにして、自分の価値をそこに見出す人。
頼ってもらうことが自分の存在価値だと思っている。
パワハラをする上司も相手より自分は優れているんだぞという虚勢を張って、自分には価値があると思わせようとしている。
マウントを取る人も私はあなたより価値があるんだからと人を陥れることにより、自分をごまかそうとしている。
みな、自分と向き合うのが怖くて、自分の中にある他人と戦っている。
特別な何者かになろうとしている。
『あなたはあなたのままでいいのよ』というのは、美輪明宏さんの言葉を借りれば
『泥のついた大根を「ほら、それがありのままの私よ、食べろ」と言っているのと同じ。ちゃんと泥を落として、綺麗にして、煮たり、サラダにしたり、お料理にして差し出すのがありのままということなのよ』
なのだ。
だけど、この若者たちは、自分が何者なのか、大根なのか、人参なのか、ごぼうなのかもわからないまま「私は何者なんだろう?周りがメロンだからメロンなのかな?」と、周りだけを気にしているように思う。
まずは自分が何者なのか知るところから始まるのかもしれない。
【トマトがトマトであるかぎりそれはほんもの
トマトをメロンに見せようとするから
にせものとなる】
by 相田みつを
私も自分がトマトなのか、大根なのか、かぼちゃなのか、知るところからだよな…と思いました。
そして、生きる意味、生きている価値は、生きながら人それぞれ見つけていくものだと思いました。
何者にもならなくてもいい。
マウント取らなくてもいい。
人に頼られなくてもいい。
人より上に立たなくてもいい。
生産性がなくてもいい。
自分を愛する。
自分が自分になるための人生を歩んでいく。
簡単なようで難しい。
難しいようで簡単。
そんなことを考えさせられました。
ミイコさんの記事はこちら
ミイコさん。
今回このような形で、小説を読み、感想文を書く機会をいただきました。
これは、小さいことかもしれませんが、私にとっては大きな挑戦でした。
求められていたのと違うかもしれませんが、今の私の感想ということで…。
大変なところありましたが、楽しかったです🥰
貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました💕💕💕
みなさま。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
この後、私が書き終わるまで読めなかったそいさんの感想文を読みに行こうと思いま〜す🥰
しあわせをありがとうございます💖
感想文は、私の偏見と主観😁
うちなる平和を💕
シュカポン🐼