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小説: 夢見るようなあたたかな日々 ③

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十一話

程なくして三上から話しかけてきた。
「事件、大変だったな」
三上は4月からのプロジェクト管理課で忙しかったと説明していたが、多分、厄介なことに巻き込まれて疎ましいと考えたのではないかと思っている。

但し、俺が三上の立場なら。

やはり俺も仕事を理由にして距離を置く。
誘われてアジサイ見物に行き、人が死んで自分が警察に呼ばれると誰だってそうだ。
首を突っ込むほど野暮じゃない。

「嫁さん、元気か?」
三上の言葉に若干感謝すら覚えた。

殺人も視野に入った事件だからこそ、俺や玲奈は疑われて肩身の狭い思いをした。
玲奈はかつてこの会社で働いていて、昔から勤務していた人間なら玲奈のことは知っている。

事件があり、あからさまではないにしろ人の冷たさを感じた。避けられている気がした。
俺が疲れて被害妄想かもしれない。

「香川、少しやつれたんじゃないか?
ちゃんと飯食えよ。お前や嫁さんのせいじゃない」
「すまんな、心配かけて。ありがとう。
なあ、三上。今日、時間ある?」



新橋の駅近で酒を飲むのはどれぐらい振りか。
玲奈に「三上と飲んでくる」
LINEしたら「パパ、気分転換してきてね」
玲奈の嫌味ではなく、玲奈もひとりになりたいのだと察した。

全室個室の焼き鳥屋は掘り炬燵になっており、オレンジ色の照明がしっぽり飲む酒に合う気がする。

「お疲れ」
三上が注いでくれたビールは何が隠されているのだろう、三上の気遣いがビールの苦味を旨くする。

俺は三上に、玲奈と加賀さんとの間を話した。
暫くは年賀状のやり取りだったが、娘たちが中学に進学した辺りから頻繁に連絡が来るようになっていたなど包み隠さず愚痴った。

加賀さんの夜更けのLINEで玲奈が寝坊し、玲奈を叱ったなども全て。

「うちの元嫁にそっくりだな」
三上は苦笑いしながら焼き鳥を摘む。

「恐らくだが、加賀さんはいい奴なんだよ。
いい奴だから、縁を切りにくいというかさ」
「まあなぁ。俺は苦手なタイプだけどな」

「仕事ができるし、空気も読める。
だけど一旦自分モードに入ったら、究極の自己チューになる奴がいてさ。
オレからキツく言わないと自分の立ち振る舞いは許容されていると認識してるんだろうな。
黙っていると自己チューが加速して」

「他人から言われないと気づかないのもどうかしてるぜ?他人を見てないってことだろう?」
「そうとも言うし、遠慮がない。気の置けない仲って解釈されているんじゃないか」

三上は離婚している。多分、奥さんの自己チューが原因だったんだろうなと思わせる話が続いた。

十二話

帰りの車内でLINEを開くと長女から
「ママを守ってあげてね」
事件のことは長女に伏せていたが、次女が話したのだろう。

長女は俺の実家がある都内から中高一貫校へ通い、
大学受験に差し障るのを防いでいた。
長女は昔から医者になる夢があり、親としてはできるだけのことはして叶えてやりたい。

横浜から学校へ通える。
しかし満員電車で英単語帳を開くのは酷に思う。
現代の子が英単語帳を使うのか知らないが。

次女は家の近所にある高校へ通っている。
特に目標がないので大学も近所の国立でいいと言っている。
玲奈に似て、おとなしい次女は俺たちに起こったことへ口を挟まず、
「早く解決したらいいね」
積極的に関わろうとしない。

とにかく俺は家族を守る、それが使命だ。
亡くなった加賀さんは気の毒だと思うが、俺も玲奈も生活していかなければならない。

俺と家族の暮らしに加賀さんは無関係だ。

死ぬなら独りで死んでくれ。
うちの家族や三上、ハムスターの辰巳さんまで巻き込んで警察沙汰になり迷惑でしかない。

三上や辰巳さんは加賀さんと初対面で、
世間からも巻き込まれた第三者だろう。
だが俺も初対面で、俺たちの家庭を巻き込むなんて、加賀さんの目的はなんだ。

俺や玲奈を巻き込めば気が済む人だったのか?
俺たち家族と加賀さんがアジサイ見物へ行くまで、加賀さんは他に何あったんじゃないだろうか。

だとしても、
お茶はたしかに絶対に加賀さんが自販機から買ってきた物。
やはり無差別殺人で偶然居合わせた、運悪く加賀さんが被害に遭ったのか?

もしそうだとしたら、とっくの昔に自販機補充員かお茶を製造する会社の人が逮捕されている。
今もまだ、飲料メーカーとそれに関わる人材は聴取を受けているのだろうか。

じゃ、お茶メーカー関係者が犯人だとして、
ストーカーしていたのも、そこの従業員か?
どうやってピンポイントで加賀さんだけに毒入り茶を飲ませられるんだ?

ストーカーと毒入りお茶事件は別々の問題か?

その後は警察から連絡はなく、今さっぱり分からない。

横浜駅を降り、徒歩で家路に着く。
大都会・横浜といわれても住宅街まで来ると夜は静かで人通りが減る。
時々、アライグマがひょこひょこ歩いている。

玄関を開け、リビングへ入ると次女がソファに座ってスマホをいじっていた。
いつもより静まり返った空気がして、
「ただいま。あれ?ママは?」

次女はスマホから顔を上げず
「ママは暫くひとりになりたいから、ホテルに泊まるって。
パパ、お腹空いた〜」

テーブルに見慣れぬ茶封筒がある。
宛名は玲奈で、差出人は無記名。
中にある紙の束を読み、俺は眩暈がしてきた。

十三話

2006/3/20
明日は大樹が入籍する。偽装結婚。
玲奈と授かり婚って、どれだけ玲奈はズル賢いの。
おとなしい顔して泥棒猫。
いつか大樹と玲奈の幸せを壊したい。

2006/4/6
大樹がうちへ来た。
やっぱり私が忘れられないと私を抱く。

2007/8/6
玲奈に子どもが生まれた。デキ婚で生まれてきたのが遅すぎる。玲奈は嘘つき。

2007/8/8
大樹にケータイしても出ない。

2016/1/1
年賀状に子どもの写真ってダサい。

2018/2/17
子どもがほしい。

2018/8/6
泊まって帰れないと言われた。

2019/3/21
年齢的に体力が落ちたというが、まだ大樹は現役。

2019/5/12
生理がきた。

2020/3/21
大樹が泊まって帰った。
時代が時代で外出禁止になり、こうして部屋で過ごすも悪くない。

2020/12/4
吐き気がして微熱がある。まだ生理は来ない。

2021/9/28
大樹が大好物のサンマを焼く。
サンマには大根すりが合うと大喜びだ。
娘たちが魚を嫌って玲奈は魚を出さないらしい。

2022/7/14
生理が遅れている。早く子どもがほしい。

2023/7/18
今日から健康のために野菜ジュースを飲む。

2023/12/24
やっと離婚を決心してくれた。
住むなら目黒がいいけど家賃が高い。

2024/1/15
部屋が消毒臭い。連日の室内干しのせい?

2024/1/17
急性胃腸炎で匂いに敏感になっている。

2024/2/14
バレンタインに焼いたケーキを頬張る大樹はかわいい。私も食べたが上出来。

2024/3/21
47歳になるとは思えない体力。

2024/6/1
大樹と会い、またホテルだ。
珍しく大樹から子どもが欲しいと言い出す。

2024/6/13
あの女は私へ男を紹介して、私から大樹を返さないつもりかもしれない。
でも大樹の心は永久に私の物になる。

2024/6/14
あなたに逢えてよかった

初めてあなたに会ったとき
この出逢いが運命だと思うぐらい
胸のときめき

あなたに惹かれた瞬間
あなたが好きだから 声が聞きたい
愛されたい 抱かれたい

既婚者だからって関係ない

わたしたちはツインレイ

あなたが結婚してわかったの
「距離は関係ない」とわかったの

でも、明日会ってあなたが
昨日のあなたと違っていたら
とても怖い 愛するって怖い
1秒でも長く あなたを想いたい
そしてあなたから想われたい

わたしはあなたを信じていいのかしら

次に逢ったとき
「待っていてくれたんだね、運命の人」

次に逢ったとき
「待たせたね、結婚しよう」

次に逢ったとき
「たくさん子どもを作ろう」

十四話

茶封筒には手書きの手帳を抜粋し、コピーしたものが入っていた。

手書きの手帳の主は加賀さんなのは判るが、
事実無根が本当にあったように記されており、
冷静に読めば過去のカレンダーを調べなくても結婚記念日や娘の誕生日、クリスマスは家族で過ごしたのが、玲奈にも判るはずだが、
こんな内容じゃ冷静になれる訳もない。

これは罠だ!

玲奈のスマホへ電話しても電源は切られており、
多分どこかへ移動中なのかもしれない。

ソファにいる次女へ
「これ、読んだか?」
「サイテーだね」次女はスマホから目を離さない。

もしかすると加賀まゆりは精神が病んでいたのではないかと疑ってしまう。
こんなこと絶対がつくほど無い事実。

この手帳の日付は、アジサイ見物の前日に書かれているが、誰がこれを入手したんだよ。
誰がどうやって。

文字は明らかに加賀さんが18年前に書いた文字と同じ癖が強い筆跡。
本当に加賀さんにはストーカーがいて、ストーカーが加賀さんの家から手帳を盗み出したのか?

「あっ!」
そういうことか!
長女はきっと手書きの日記の画像を読み、
だから『ママを守ってあげてね』とLINEして来た。

冷静で物理的に距離があれば鳥瞰してモノを見る。

「お前、お姉ちゃんから日記はニセモノだと説明されなかったか?」
こちらを見ない次女に問う。

「……されたよ。どうせお姉ちゃんは関わってないんだから他人事なんだよ」
「じゃ、スマホで過去のカレンダーを調べてコピーと照らし合わせたか?」
「やるわけない。どうしてそこまでするの?」
「今からコピーとカレンダーを照合してみないか。お前もママに帰ってきてほしいだろ」

次女は初めて俺の方を見て
「いいけど、妄想日記を検証するの?
「ん?お前、これが妄想だと分かってるの?」
「当たり前じゃん!アホな娘と思ってたの。
コピーの日付を見た?
まゆりさんが亡くなる前日。
ママはそれを見てホテルに逃げたの」

「一体、誰の仕業だよ」
疲れで思考が鈍ってくる。

自死前日まで記入された妄想日記。そしてうちへコピーが届けられた意味。嫌がらせにも程がある。

玲奈から加賀さんの話は聞いていたが一回も対面してなかった。18年後、こんなのに巻き込まれるとは……。