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エッセイ: 三月と四月の境目には
「三月にっこり、四月は涙」
わたしの中では、三月のお別れより、四月の孤独に涙が出た。不安と寂しさを抱き合わせて、自分が包む、そんな感じ。
三月は卒業式後も友達と遊んでいたから。
それぞれに合格発表があり、新生活の準備を急かされ、その合間に友達と会っては遊んでいた。
四月の入学式や入社式で、わたしは独りと遅い自覚を持ったのが懐かしい。
社会人の三月は内示があり、業務が増えるのかと
「メンドクセー」
引き継ぎや新しい業務の段取りを考える。退職なさるかたの餞別や送別会は何のどこが良いなどを頭の片隅で悩ませる。
落ち着きがない時間は寂しさを紛らわせた。
陸ちゃんが退職を決めたのは、自身の誕生月、一月だった。
陸ちゃんは営業課の課長で、わたしより二十は歳の差があった。だが、愚痴聞き役だったせいもあり、
いつのまにか、会社でも陸ちゃんと呼んでいた。
「も・も・ま・ろ」深夜に電話があり、
「な・ん・ぞ・や」と返す。気の置けない人だった。
陸ちゃんが退職するのは、うつ病が悪化して希死念慮が酷くなったからで、わたしが書類を持って営業課を覗いたとき、部長から陸ちゃんはぶち回されていた。
誰も間に入れない激しさはわたしも同じで、営業課の先輩と目が合い
(今は入って来るな)とサインをもらった。
女子が見るとショックを受けるのを先輩は慮ったのだろうが、わたしは足がすくんで、胸に抱えた書類ごと壁にもたれ掛かった。
次第に陸ちゃんは聴こえるはずのない声やモノが見えるなど、おかしな言動が増えていき、
先輩の西くんと動揺する場面も比例した。
素人からみても、陸ちゃんはおかしい。
陸ちゃんが話すことを頷くしか手立てはなく、
西くんと2人きりになると
「助けられないって、つらいね」
二十代の若者が幹部クラスに何ができるというのか、モルタルが剥き出しの床へ屈み込んでも何も解決しなかった。
三月三十一日。
わたしは西くんとなるだけ大きな花束を用意して、
部署を抜け出し、定時で玄関を出る陸ちゃんへ渡した。
「こんな気を利かすほど一人前になって」
陸ちゃんは笑ってくれた。
「いつでも電話、頂戴」
陸ちゃんは「うんうん」と、わたしや西くんの頭をグシャグシャっと撫でてくれ
「ありがとう、な」
これが陸ちゃんとの”最期”になった。
翌日から、陸ちゃんの席には別の部門から来た新しい課長が座り、書類を渡すときの掛け合いや声、雰囲気が全然違って、陸ちゃんとの別れを実感した。「ほんとに居なくなっちゃったんだ」
大きな組織は小さな会社と同じで人と人は密だ。
人間の身体の細胞もそうだろう。
大柄だからスカスカ、小柄だから詰まってるなどなく、自分の陣地はデスクの幅しかない。
四月、人的に穴が埋まっても寂しさへ大小なく、
わたしにとっては、三月より四月が心へ打撃がある。
四月は、桜が景色に映えて冬を耐えた喜びや華やかさがあり、桜が美しいほど孤独を感じる。
それから数年後、わたしはコンプライアンス室の委員に任命された。しかし、自分すら助けることができなかった。