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小説: 夢見るようなあたたかな日々 ②

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六話


僕たちの食卓は以前より豊かで明るくなった。
タツジュンが料理に興味を示して、常備菜を作り置きするようになり、常備菜で余る野菜は干し物にし、僕のご飯も増えた。

タツジュンに趣味ができると会話が弾む。
夕飯を食べながら僕たちは新しいレシピを生み出すアイデアを出し合う。

タツジュンも僕もよく笑う。昔から笑っていたように声を立てて笑う。

食事を終えて、2人で動画を観ていたときだった。

アジサイ見物で僕たちに声をかけてくれた香川さんから携帯に電話がかかってきた。
内容は、土曜日に撮影した写真が出来たことやタツジュンへも迷惑をかけたことについて謝罪の言葉があった。

「明日、香川さんと渋谷で会うことになった」
「香川さんって写真撮ってくれた人?」
「そう」



「キンクマ、お前も来い」と言われて僕はリュックのポケットに入り、渋谷に来ている。
渋谷の街の匂いは、懐かしい思い出を呼び起こす。
僕は昔、ここにあるペットショップにいた。そして誰かが飼ってくれるのを待っていた。

「この度はご愁傷様です」
タツジュンの声とともに近づいてくる声もある。
「事件に巻き込んでしまい申し訳ございません」

香川さんはリュックにいる僕を見つけ、
「金王八幡宮でお話しませんか?」

渋谷駅の近所と思えない、朱色が神秘的な光を放つ神社までタツジュンと香川さんは移動していた。

低くてよく通る香川さんの声は柔らかく、移動までの間「申し訳ございません」を連発する。

きっといつもこうやって周りに配慮する人なんだろう。
たまに僕のことを「ハムちゃん」と呼び、優しい眼差しで様子を見てくれる。

香川さんはタツジュンへ紙袋を渡す
「この度は本当にご迷惑をおかけいたしました」
タツジュンは慌てて
「そのようなお心遣いをいただき
恐縮でございます」紙袋を香川さんへ返そうする。

タツジュンは
「お疲れになられたでしょう」香川さんを労うと
香川さんは捲し立てるように話を始めた。

「辰巳さんは警察とお話されましたか?
本当に何がとうなって加賀さんがああなったのか私には分からないのです。
加賀さんは妻の学生時代からの親友で、妻は憔悴しています。
もっと加賀さんの話を聞いてあげれば良かったんじゃないかと自責の念や警察からの取調で、妻の心が病むのではないかと心配です」

「そうですね」

「はい。辰巳さんに話すことではないのでしょうが、加賀さんはアジサイ見物の前、毎日、不審な手紙が届いていたそうです。
加賀さんは妻に相談をしておられて、妻は防犯カメラを設置するようアドバイスをしました」

「被害者はストーカーされていたんですか?
あっ、立ち入ったことをすみません」

「いえ、私の方が失礼しました」
「香川さん、俺で良ければ話を聞きますよ」

「ありがとうございます。
そのようですよ。加賀さんが妻に話した内容では、ストーカーされていたようです。
……なんか」

香川は片手で口を抑えながら、息を吐くように
「あの日、もう1人いた男は私の会社の同期で三上と言います。三上も再三に渡る取調で私を避けるようになりました。
どこにも言っていく場所がない」
「そうですね。おつらいでしょう」

「正直、つらいです。任意ということで警察で事情を聞かれますが、私や妻には何の心当たりもありません」

ここは若者の街、渋谷。
しかし、俺たちだけは井戸に落ちたカエルの気分だった。

七話

「香川さん、アジサイ見物の日。たしかに加賀さんって人は自身が自販機で買ってきたお茶を俺たちに配りましたよね?
そして各自が蓋を開けて飲んだ。
それだけでしたよね」

「はい、それだけ……いや、加賀さんはペットボトルの蓋が開かないと三上に開けてもらっていました」

「そうでしたね、ああ。
でも、毒を入れる隙やペットボトルをすり替える時間がありましたか?」

「いいえ。加賀さんが三上にペットボトルを渡し、三上が開封して返していたのを私は見ておりましたが、不審な点はありません」
「ですよね」

「本当にペットボトルのお茶から毒物が発見されたんですか?」
「そうらしいです。ジキトなんちゃらという毒が加賀さんの体内や鞄の中、ペットボトルに残っていたお茶から検出されたそうです」

「じゃ、あの場で飲んだ時にはお茶に混ざってなかったとか?」
「それはないそうです。毒の中毒症状は4時間から8時間後から出てくるそうで、私たちが解散したのは14時。加賀さんは腹痛がするので帰りたいと言い出して解散したんです」

俺は神社の段差に腰掛ける。
香川さんも俺に倣い、隣に腰掛けた。

「そういえば、話は戻りますが。
加賀さんに手紙が来ていたと?差出人は誰だったんです?そして防犯カメラに何か映っていたんですか?」

「自殺した日もその前後も監視カメラには加賀さん以外は誰も映ってなかったらしいですよ。
差出人は不明で、警察が調べても宅配業や郵便配達も加賀さんへ何かを届けた痕跡や証言がなく、
加賀さんが言うには防犯カメラを設置した日から手紙は来なくなったそうです」

「じゃ、直にストーカーが手紙を届けていたと?」
「そうみたいですね」

ストーカーは防犯カメラに気づいて手紙を置くのは止めたとして、どうやってお茶に毒を仕込むんだ。

「香川さん、加賀さんはどちらにお住まいだったんですか?」
「大島です」「大島って?」
「江東区の……」「ああ」
「香川さんのお住まいは?」「横浜です」

大島にはあまり行ったことはないが、たしか静かな街というイメージで治安が良い場所だが。

6月の夜は寒暖差のせいか肌寒く感じる。
香川さんの方から、また俺と話がしたいとの要望があり今日はこれで帰ることにした。

リュックのポケットにいるキンクマが俺を見る。
何か言いた気だが、目配せし、マンションに戻るまでは沈黙でいようと思った。
香川さんがいる前でキンクマが話し出すと混乱を招くのが容易に想像できる。

八話

マンションに着くなり、キンクマはpcまで走り
何かを検索し始めた。

「ジキトなんとかって、ジキトキシンらしいよ。
なんか、ジキタリスって花の毒なんだって」
「ジキタリスって何だよ」
俺は手を洗いながらキンクマに尋ねる。

「ベルみたいな可愛いお花」
「可愛い花に毒?どっかの山に自生してんのか」

タオルで手を拭きながらpcの画面を見る。
「ん?これ、キツネノテブクロじゃん」
「タツジュン、知ってるの?」
「知ってるよ。普通、庭に咲いてるよ」

「大島って場所にもあるのかな?」
「あそこはベットタウンなんだ。だから、プランターに植えている家があるんじゃないかな」

キンクマの目がキラキラと輝き、口元が笑っているように見える。
「マンションから遠いの?」
「1時間ぐらいかなぁ」「行こう!」
「どこへ?」「今度のタツジュンの休みに大島!」

言うと思った。



江東区大島は昔と変わらず静かな街で、
駅を出て住吉までの間をアテもなく歩いてみる。
ジキタリスが植っていそうな野球場をフェンスから眺め、猿江恩賜公園を見学してみたが、桜の木はあるがジキタリスはない。
今ぐらいの季節に咲いていた記憶があるのだが。

「タツジュン、次は横浜!」
「えっ?なんて言った?」
「横浜。ジキタリスを探しに行くんだよ」
「住吉から横浜はマジで遠いぞ。
それに横浜はみなとみらいだけが横浜じゃない」

キンクマは急にガッカリ肩を落とす。
小さな身体がより小さく見える。

「落ち込むなよ。加賀さんや香川さんが住んでいる場所の花じゃないかもしれない。
ストーカーの家の近くにある花なのかもしれない」

俺はキンクマの頭を撫でてやりながら
「というか、加賀さんがこういう閑静なところへ住んでいたのが分かっただろう」

キンクマに給水器で水を飲ませてやり、
本当にコイツは可愛いなどと思い、ハッとした。

もし、本当にストーカーがいるなら警察は店などの防犯カメラからストーカーの存在を認識しているはずだ。

本当にストーカーが存在していたのだろうか。

人前で毒を飲む理由はなんなのか。
うちのマンションへ来た警察の話では、加賀さんは遺書を残してなかったという。
グループと談笑したのが遺書代わりなら、当てつけみたいなやり方に不快感を覚えた。

俺が首を突っ込むのはここまでで、
精々、キンクマを横浜見物へ連れて行くのみ。
キンクマを公園に連れてきたのが今日の収穫だ。

嬉しそうに飛び跳ねるキンクマのあどけない姿。
やはりコイツは子どもなんだ、など思うと癒しの存在だと改めて感じる。

九話

自殺から2週間目。
私はまゆりの親友ということで何度も警察から呼ばれて聴取された。
知らないことは知らない、それが答え。

警察も私も気づいていた。
まゆりが監視カメラを購入してから謎の手紙が来なくなったのは可笑しいと。

いつ、どこで、まゆりが監視カメラを購入し、それを取り付けた日を知らない。
もしもストーカーが存在したとして、ストーカーが監視カメラに気づいたのなら、まゆりが監視カメラを取り付けている場面を見ていたのかもしれないが、どこから作業を見ていたのかしら。

そして、どうやって自販機から買ったお茶に毒を入れたのかしら。

本当にストーカーがいたのかしら。

何度も警察署に通い、聴取してくれる刑事さんと話をしていると最初は警察官としての厚い垣根があったものが次第に薄くなるのを感じる。
威圧感で話しにくかったのもが、馴染みの人になっていく感触を私は得ていた。

刑事さんには守秘義務がある。
それが安心感に繋がる。
内心に秘めていた疑問を素直に口にできてしまうのが、今思うと刑事の技なのかもしれない。

「まゆりさんから頻繁に連絡が来ていたんです。でも、ストーカーがいるって手紙の件で知ったのが初めてで、それまで聞いたことがなかったんです」

最初はこんな感じだった。

終いにはまゆりに対しての愚痴に似た、本音を漏らすようになり、刑事さんから注意された。

「私は家庭だけではなく、仕事を持っています。
主婦からまゆりへ連絡するのはほとんどありません」
主婦の実情はこういうものだと思いたい。

結婚し、子どもを持つと自分に似た境遇の人や環境の人と話をしたくなる。
一から話さなくても共通した出来事を介して話は早く伝わり、共感を得やすい。

何より自分の環境と似た立場同士だと、
「こんな時間に電話したら失礼だ」
時間を考えて連絡するようになる。

一方でまゆりは独身であり、普通の人は結婚や出産したら連絡を控えていてくれたが、まゆりに関しては遠慮というものがなかった。

「ごめん、まだ家事が済んでないんだ」
正直に私の状況を話せば、
まゆりは理解してくれた日もあったが、
まゆりの機嫌が悪い日は
「そうやって玲奈はマウントしてくる」
「玲奈も結局は子持ち様だよね」

子どもの塾は22時に終わり、駅まで迎えに行って帰って子どもへ食事させ、それを片付け、私が入浴するのは0時を回る。

仕事から帰宅し、洗濯物を取り込み、夕飯を作って帰宅した夫に食べさせる。風呂掃除やゴミ捨ては夫がやってくれるが、洗濯物を畳んで収納し、アイロンがけをするのは私。

まゆりに説明したのは一度だけではない。
しかし、理解を得るのは遠かった。

いつも私は悪者だった。

十話

夫やうちの母は明らかにまゆりを嫌っていた。
2人の言い分は
「加賀さんに常識がない」

私が上の子を出産したときのこと。
まゆりは当時、二子玉川に住んでおり、毎日のように甘いものを差し入れに来たと、私が出産した横浜の病院にやって来た。

私は初産で、泣き止まない新生児の娘を昼夜問わず抱き抱えて過ごしていた。

病院は泣き止まない娘を預かってくれ、私に睡眠をとるように促してくれたが、
まゆりが訪れると寝るわけにも行かず、まゆりのおしゃべりに付き合っていた。

まゆりが娘に興味を示したのは、産みたての時だけで、新生児室から戻るとまゆりはまゆりの話題をしていた。
学生気分が抜けない、まゆり。
新社会人の気分が抜けない、まゆり。

私の状況を察するなどなく、合コンや会社の愚痴を私に詰めてくる。

上手く断れない私が悪い。

母は私の状態を見て、まゆりが帰った後に私を叱るが、遠くから土産を持ってくるまゆりへ断ることへ罪悪感があった。

娘が寝ている間に私も寝たい……。

娘を連れてアパートへ戻ってきても、まゆりは訪ねてくるようになった。
平日は夫が帰宅しそうな時間までうちへ遊びに来る。

夫にとっても初めての子育てで、深夜、私に代わり娘を抱っこし、ミルクやおむつの世話をしてくれた。

それでも私の睡眠時間が足りなかった。
娘が寝ている間に家事を済ませ、やっとゆっくりできる頃に執拗な玄関チャイムの音。

私は慣れない生活から乳腺炎になる。

医師の説明では、ストレスからも乳腺炎になるとのことで、娘に乳がやれないだけではなく、私の胸は熱を保ち、少しの摩擦でも当たれば針で刺される痛みに襲われる。

私は勇気を出して電話した。
まゆりにきちんと話せばきっと分かってくれると期待して。

ところがまゆりからは
「ふ〜ん、そうなの」
私を慮る言葉や悪かったなどのセリフはなく、
電話口から素っ気なさだけが伝わってきた。

夫に話すと、
「そんなヤツは友達じゃない。縁を切れ」
夫にしてみれば、平日は仕事と帰宅すれば子育てで気が荒くなるので当然の言い分だ。

一時はまゆりと、下の子が中学に上がるまでは年賀状のやり取りのみになった。

私の人間関係は会社の人や子どもたちの学校や塾の関係者、ママ友が中心になり安定していった。

互いが互いの状況を確認して話をする、約束を決める。無理はさせない。
手を伸ばして届くか届かないかの範囲にいる距離が私の常識になっていく。

もう、学生時代でも新卒の子でもない。
他人には他人の生活やポリシーがあり、そんなことは話さなくても察して了解し合うのが私の中で定着していった。