女に呪いをかけるのもまた女なのかもしれない
「女の子は大きくなったら、みんなキレイかお姫様になれるんだよ」
今期の月9『海月姫』を観た。
原作と設定が違う!とか、瀬戸くんの美少女感がすごい、なんて思いながら観ていたのだけど、何となく引っかかったのが、先に書いた月海の母の言葉だ。
冴えない外見の主人公・月海は自己肯定感が低い。おしゃれ人間を別世界の住人だと思っているし、自分が可愛いとは少しも思っていない。
女装した蔵之介を見て、お姫様はこういう人のことを言うんだと自分との差に絶望し、諦め、その姿に憧れることもない。
そして、亡くなった母に対してこう語りかける。
「お母さん、ごめんなさい、私はお姫様にはなれませんでした」
わたしは思う。
お姫様って何だろう?
可愛くて、おしゃれを楽しんでいて、ドレスが似合う女の子だけがお姫様なんだろうか。
たぶん、いや、きっと違うと思いたい。
それに今の時代、お姫様にはならないという選択もある。なんなら、王子様になったっていい。
月海の母が生きていれば何か変わっていたのかもしれないが、いない今となっては、あの母の優しい言葉はまるで呪いのようだと思う。
お姫様になれない女の子は女の子じゃない。
大きくなったのにお姫様になれていないわたしはダメな女の子なんだ、と。
そう思って謝ってしまうのなら、それは呪縛以外のなにものでもないではないか。
意図せずとも親の価値観からかけられた言葉の呪いは、そう簡単には解けないのだ。
そんな悶々とした思いをかかえた後に観たドラマが、『隣の家族は青く見える』。たまたま観たのだけど、価値観が異なる家族がそれぞれ人に言えない事情を抱えている、という設定のようだった。
子供が欲しくて妊活を頑張っている奈々。
子供はいらないバリキャリ?のちひろ。
ふたりの子供を育てる専業主婦の深雪。
同姓カップルの渉と朔。
わたしは人との価値観の違いを結婚してからより感じるようになったが、それは子どもが関係してくるからだと思う。
正月に地元に帰ったとき、久しぶりに中学時代の友人と会うことになったのだけれど、当日の朝まで憂鬱な気持ちでいっぱいだった。
なぜなら彼女たちは1人を除いてすでに子持ちで、話題の中心はつねに子どものことだったからだ。
LINEのグループで送られる出産報告、それに対するお決まりの祝福コメント。
わたしは子どもはいつか欲しいと思っているけど、まだ仕事をしていたいし、正直あまり子どもに興味がない。
会えば案の定、
「子どもは何人欲しいの?」
「いつごろ考えてるの?」
という質問が飛んできた。
そんなときにふと思ってしまう。
彼女たちは、なぜ子どもを産むのが当たり前だと思っているのだろう。
もしわたしが病気で子どもを産めない身体になっていたとしたら、どんな顔で慰めるのだろう。
会った友人の1人はドラマの奈々と同様、子どもができなくて悩んでいる真っ最中だった。早くに子どもが出来た友人は今は離婚して、シングルマザーとして奮闘している。
みんな違う、と分かっているはずなのに、根本的なところで結婚したら次は子どもだという考えがある。これは、田舎の出だからとくに感じてしまうのかもしれない。
「自分のものさしだけで他人のものさしを測るなって言ってるのよ!」
ドラマの中で、子どもを産むべき、という自分の価値観を押し付けてくる深雪に対し、ちひろは声を荒げて反論した。
その言葉を聞いて、やっぱり女の子だからってお姫様にならなくてもいいんだ、とひどくホッとした。
子どもを産まない選択肢もある。
女の価値は、可愛さでも、子どもの有無で決まるわけでもない。
人なんて切り開けばただの肉の塊だ。
女だろうと男だろうと関係ない。
最後は、『アンナチュラル』の中堂先生の言葉を聞いてスッキリしたのだった。