記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『真夜中の五分前』〜春馬くんこそ芸術そのもの

今週末もやっているドリパスでの『真夜中の五分前』の上映。まだ行く決心がつかない方の背中を押せたらと思い、取り急ぎ公開します。公開後、書ききれないところを追加すると思いますので、悪しからず。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

春馬くんのお誕生日にドリパスで上映されることを知り、すぐにチケットを申し込んだ『真夜中の五分前』。

自宅では既に何回も見ているのだけれど、あの世界観を堪能するためには、是非大きなスクリーンで見ないとと、かねてから思っていたのだ。

それが、春馬くんのお誕生日に叶うなんて。

そして、やはりスクリーンで見ると、その世界観の美しさに酔いしれる。
まだ私は『真夜中の五分前』の中にいる。

あらすじ、そして原作について

『真夜中の五分前』は、春馬くんの作品の中でも割と人気が高い作品ではないかと思う。本多孝好氏のベストセラー恋愛小説を原作に、2013年11~12月に上海、モーリシャスで撮影された行定 勲監督の作品である。

時計修理工のリョウ(三浦春馬)は、ひょんなことからルオラン(リウ・シーシー)という美しい女性と出会う。彼女には、女優をしているルーメイ(リウ・シーシー/二役)という一卵性双生児の妹がいた。今、ルーメイにはティエルン(チャン・シャオチュアン)という婚約者がいて、その婚約祝いには是非ともルオランが思いもつかないようなプレゼントを贈りたい…。それで、出会ったばかりのリョウにプレゼント選びを手伝ってもらうことに。
唐突で奇妙な出会いではあったが、リョウは美しいルオランと知り合えたことに胸を躍らせる。しかし親しくなるにつれて、リョウはルオランが抱える心の闇に気づいていく。
ルオランは自分の人生の片割れでもあるようなルーメイを深く愛しているのだが、「同じものを好きになってしまう」というこの双子姉妹の性(さが)から、ルオランもティエルンを愛してしまっており、そのことでルーメイに対する激しい嫉妬を抱えていた。
そんなルオランを優しく受け止めてやるリョウ。
2人の関係はやがてゆっくりと、恋人へと発展していく―。
      ~東映『真夜中の五分前』紹介ページ

まずは、この『真夜中の五分前』というタイトルそれだけで惹きつけられる。「真夜中」という言葉そのものの響きだけで妖しく神秘的である上に、続くのは「五分前」という言葉である。後ではだめなのだ、前でなければ。それも10分ではだめ、漢字で書かれた「五分前」この形状がいいのであって、それが続くことで「まよなかのごふんまえ」という素敵な響きのタイトルが出来上がる。本編の内容は全くわからなくても、ミステリアスな世界へ向かうその少し前、踏み出せそうだけど踏み出そうか迷う、そんな印象を受けるこのタイトルが私はとっても気に入っていて、原作者のセンスに恐れ入る。
なので、私はこの映画の初見後に、原作小説の本多孝好の『真夜中の五分前 five minutes to tomorrow(side-A・side-B)』 (新潮文庫刊)を読んでみた。
こちらは、舞台も主人公”良”の職業も性格も映画とは異なる。良がかつて恋人を亡くしていること、そしてその元恋人が時計を5分遅らせていたこと、双子の姉妹の運命に翻弄されていくのは映画と同じような過程を辿っていくのではあるが、エンディングも若干異なる。でも、恋愛小説としてこれはこれでとてもcoolなのだ。感動するとかというより、cool。特にside-A(上巻)の終わり、ひとを愛することをあきらめていた良が遂に言う「愛してる」にしびれたのだが、私の脳内では小説の中の良も春馬くんの姿をしていて、こんな春馬くんも見てみたかったな。

話は映画に戻すと結局、映画『真夜中の五分前』は、原作小説とは設定もストーリーも異なる完全に行定勲監督の世界観の中にある作品だ。

映画を見終わった後は、「え!?」という疑問を残し、見る人の解釈に委ねる作品。今回のドリパスでの鑑賞のあとも、近くのご婦人たちが「なんだか、もやもやした終わりだけど、いいんだよね~」と言い合っていた。これからこの映画を見る方は、もやもや覚悟でご覧いただきたい。
結論は、見る人の好きなように解釈すればよい。
ただひたすら、この世界観に浸っていただきたい。

春馬くんこそ芸術そのもの

春馬くんは、作品によって全く異なって見えるという得意技をお持ちだが、撮影時期から言って、『ラスト♡シンデレラ』と『僕のいた時間』の間、というところか。色気たっぷりの広斗くんから苦悩しながら人生を模索する拓人へ移行する間。

その両方の役とも異なり、表情と佇まいで内面から表現するこの作品の春馬くんたるや、もはや芸術だと思う。

それは、もちろん行定勲監督のセンスと世界観、緻密で繊細な演出のなせる技によるところも大きいと思うが、その意向を完全に汲み取り、寄せていき、完璧にその世界観に溶け込む春馬くんは、天性の資質を持ち合わせているだけでなく、改めて素晴らしい俳優だと思う。

完全に私の趣味嗜好によるお気に入りのポイントを述べさせていただくと・・・

プールで悠然と泳ぐ春馬くん、その美しいこと。ザバーっとプールから出て、なんでもないスイムキャップとスイムウェアで猫背気味にプールサイドに佇む。スイムキャップを取った無造作に乱れた髪から滴る水のしずくの間から、美しく泳ぐ女性を追う大きな瞳。近づいてくる女性から視線を外すが、目の端っこで様子伺っている春馬くん。

時計店にて。黄色と緑のステンドグラスの窓を背負い、俯いて時計を覗き込むアイルーペを嵌めた白衣の春馬くん。宗教画を思わせる美しさ。

どこかセピアカラーの印象を受ける上海の街並みを、ニットキャップをかぶりバイクで走る春馬くん。昼と夜で表情が変わる風景にも、一人で乗っていても、後ろにルオランを乗せていても、主張しすぎず美しく完璧に街に溶け込む。

屋外の映画上映をルオランと二人で見ているとき。近づきたい、近づいていいのかな、とうとう近づいてしまった心の中を表現する手の動き。

そして二人の愛を確認する良の部屋で。キスをするときぶつかる鼻を日本語で「はーな」と教える春馬くん。これ以上ない愛しい表情と優しい声。

そして、この映画には、心地良い素敵な音もいっぱいなのだ。

もちろん、抑揚のある中国語の神秘的な響きもさることながら。
例えば時計の秒針の音。時を知らせる鐘の音。
例えばプールの水を搔く音。
例えば手紙を封筒から出し入れする乾いた音。
例えばゆっくり歩くときに軋む床の音。
例えば朝食のときのお箸が茶碗にあたる音。
春馬くんの表情が佇まいが、それらいろんな音に呼応して、語らないのに、セリフを聞いているような錯覚に陥る。

映像美と心地よい音そのすべてを味方につけて、春馬くんの美しさがとんでもないところにいっている。

こんな素敵な作品を送り出してくださった行定監督。
心からありがとうございます。

さて、次の記事で映画の内容の核心に触れます。
映画を見終わってからご覧ください。


いいなと思ったら応援しよう!

hoof
いただいたサポートは三浦春馬くんの作品鑑賞や媒体購入に充てさせていただき、更なる春馬くんへの愛につなげたいと思います。

この記事が参加している募集