三遊亭圓生の置き土産の裏側〜京須偕充著「圓生の録音室」
落語関連の本、散々買って読んできたのでもう買うまいと思っているのだが、つい買ってしまっているものがある。
そうした在庫の中から読んだのが、京須偕充の「圓生の録音室」(講談社文芸文庫)。京須氏は、ソニー・ミュージックのプロデューサーとして多くの作品を世に出しているが、中でも落語関連のものが有名である。“圓生“とは、もちろん昭和の名人・六代目三遊亭圓生である。
私が落語をCDで聞くきっかけになったものの一つが、古今亭志ん朝のCD、三百人劇場での独演会を中心に編まれたものである。当時は、そのプロデューサーが京須氏であることは認識していなかった。
その後、志ん朝師匠のことを記した本を上梓され、京須偕充の存在を意識するようになった。TBS系が長きにわたって放送する「落語研究会」。長らく、演芸評論家の榎本滋民が解説役をだったが、その後、京須氏がその役を担っていた。
その京須偕充が三十代で世に出したのが、現在「圓生百席」として世に知られる、落語音源における金字塔である。
前述の志ん朝のCD含め、ほとんどの落語のレコード・CD等は、ラジオ放送で使用されたものを含むライブ口演の収録。「圓生百席」の画期的なところは、全てスタジオ収録。後世に残るものとして、演者と共に精緻な編集を加え、三遊亭圓生の理想とするものを作成した。
本書は、このプロジェクトの発端・経緯・完成までを記録したものであるが、そこには圓生の芸談・生きざま・落語家としての矜持、さらに人間“圓生“が散りばめられる。
私はCD化された「圓生百席」からの世代なので、それまでのいきさつは知らなかった。京須氏が圓生宅を訪ねたのは昭和48年、もちろんレコードの時代である。八代目桂文楽は鬼籍に入っており、五代目古今亭志ん生も同年に他界。七十二歳の圓生に落語界の今後が託されていた。
京須が持ち込んだ企画は、「真景累ヶ淵」「牡丹灯籠」といった長編の人情噺をLPレコードにするというものであった。最低でも5・6枚もの定価1万円以上という商品であり、ビジネスとしてもチャレンジングなものだった。
さまざまなやり取りの結果、圓生は<「とにかく最上のものを残したいと思いますから、こりゃア、スタジオでやらせていただくしかありません」>(「圓生の録音室」より、以下同)
前述の二席に「乳房榎」を加え、LP13枚組となった「三遊亭圓生 人情噺集成その一」が、その後の「圓生百席」へとつながる。最終的には、<録音だけで四年半、編集をいれて六年強の短期間>で、<「三遊亭圓生 人情噺集成」「圓生百席」合わせてLP百十五枚>となった。
現在は、この百十五枚のレコードが「圓生百席」としてCD化されている。レコード時代含め、この超大作がビジネスとして成立したことについても驚きである。
本書は青蛙房(せいあぼう)という寄席関連書籍を多く手がけていた出版社から上梓され、その後、中公文庫・ちくま文庫・講談社文芸文庫と、出版社を変えながら再三にわたって世に出ている。昭和の名人が残した財産の裏側を、後世に残そうという使命感を感じると共に、本書の質の高さを物語っている。
現在のCD版は58巻(116枚)。私はとても全CDを所有しておらず、自分で買ったもの、図書館から借りてリッピングしたもの合わせて半分くらいを聴ける状態にしている。
本書を読んで、居住まいを正し、再度聴かなければと思っている。持っていないもの、どうすか。。。落語のCDも買うまいとしているのだが