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天才の軌跡をたどる〜「和田誠展」とそれぞれの思い出(その1)

誰がなんと言おうと、日本の国民的画家は和田誠である。ほとんどの日本人は和田誠の洗礼を受けている。東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている「和田誠展」を観て、その意識を新たにした。

立川談志は「量と質を兼ね備えたのを天才という」と語った。レオナルド・ダ・ダヴィンチ、手塚治虫。彼らは量とともに幅があった。和田誠の仕事をたどると、和田さんもまさしく天才の一人であることを痛感する。

“栴檀は双葉より芳し”と言う、“早熟の天才”という表現もある。和田さんはまさしくそうした存在であったことが分かる。中学1年で雑誌にコマ漫画を連載する。高校時代の時間割は、教科の代わりに先生の似顔絵を描いている。大学在学中に「日宣美賞」(夜のマルグリット)を授賞し、プロとして歩み始める。

そして、その後の仕事は、多くの日本人の生活に寄り添い、彩りを与えながら進んでいく。

この展覧会を観ている人々は、意識して体験した和田誠の仕事、無意識に吸収していた和田作品を辿りながら、それぞれの思い出を反芻していると思う。以下は、私の思い出である。

私の父は愛煙家であった。私が物心ついた頃に吸っていたのは「ハイライト」である。近所のタバコ屋によく買いに行かされた。つい最近まで知らなかったが、パッケージデザインは和田さんである。

この展覧会で初めて知った。NHK「みんなのうた」、“ねこふんじゃった”、“お化けなんてないさ”などのアニメも和田さんだった。

小学生高学年になると、文庫本を読み始めた。そんな頃にカバー絵も含め、アピールしたのが星新一だった。本展覧会でも取り上げれているが、星新一作品も含め、後年、あれは和田誠の表紙だったと認識する。

高校生になると、マンガ熱が高まる中、読んでいた「月刊マンガ少年」にみなもと太郎の「お楽しみはこれもなのじゃ」という漫画の名セリフをベースにしたイラスト・エッセイが連載されていた。一方で、映画館通いも始まる中、この連載には本家があり、それが和田誠の「お楽しみはこれからだ」であることを知る。

前後関係は記憶していないが、同じ頃、本屋で偶然に和田誠著「倫敦巴里」という本に遭遇する。内容に関する情報は全くなかったが、その装丁・タイトルに惹かれて買い求めた。1977年刊行のこの本は、和田誠のパロディ作品の集成だが、そのマルチな才能がふんだんに詰まっていた。再三再読するとともに、こうした書籍が成立していることが驚きでもあった。

この頃からは、和田誠の仕事というものを明確に意識していた


献立日記(2021/11/27)
昼、義弟、義妹夫婦が集まり、我々夫婦の還暦の祝いを催してくれる@上越やすだ恵比寿店
その後、我が家で二次会。夜はほとんど食べず


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