手の中の音楽17〜コモドア盤のビリー・ホリデイ(その2)
アフリカ系アメリカ人全ての怒りと悲しみを背負った、“奇妙な果実“で始まるコモドア盤を集めたアルバムだが、久方ぶりに改めて聴くと、素晴らしい歌の数々だった。
中でも好きな曲の一つは、“水辺にたたずみ(I Cover the Waterfront)“。水辺にたたずみ、海を見つめながら、愛する男の帰りを待つ女性の歌である。
そして、“I'll be Seeing You"。ビリー・ホリデイは、“古く懐かしい場所で、私はあなたに会う“、“素敵な夏の日に、私はあなたに会う “と歌いますが、聞くものは彼女は決してその男性に遭わないと感じとる。
男と女の関係、その中での女性の悲しみを歌った曲が、どうしてもビリー・ホリデイには合っているように感じてしまう。このアルバムはそうした曲が多く収録されていて、上の2曲以外を含め、彼女にしか出せない哀愁がこもっている。
こうしたアルバムの最後が、“明るい表通りで(On the Sunny Side of the Street“)で終わるのは、よく出来た曲順だと思う。これで、少し気分を持ち直し、アルバムを聴き終えることができる。ただ、その後のビリー・ホリデイの人生はSunny Sideにあったのだろうか。
和田誠と村上春樹の共著「ポートレイト・イン・ジャズ」、多くのジャズ・ミュージシャンを取り上げており、ビリー・ホリデイももちろんその一人である。少し引用させて頂く。
村上は若い頃ずいぶん彼女を聴いたが、<どれほど素晴らしい歌手かということをほんとうに知ったのは、もっと年をとってからだった>と書いている。今回、聴き直して同じようなことを感じた。
コモドア盤や彼が好むコロンビア・レコードへの録音は、<若くみずみずしい声で、彼女が歌いまくっていた時代>で、<信じられないほどのイマジネーションがみなぎり、目を見張るような飛翔があった>と村上は書く。この後、彼女は麻薬にむしばまれ、声もつぶす、それでも歌い記録されたものが、昨日紹介したアルバム「Lady Sings the Blues」を含む数枚のヴァーブ(Verve)盤である。
村上春樹は、若い頃はこれら晩年の録音は<あまりにも痛々しく、重苦しく>、<意識的に遠ざけてもいた>が、歳を重ねるとともに求めるようになった。<崩れた歌唱の中に、僕が聞き取ることができるようになったのは何なのだろう?>。
それを彼は「赦し」ではないかと書く。長く生きる中で、自分が犯した過ち、傷つけた人の心を、<彼女がそっくりと引き受けて>、<赦してくれているような気が、僕にはするのだ>。
私は、若き日のコロンビア盤を聴き始め、多くの人生が刻まれた後年のヴァーヴ盤に進もうとしている
献立日記(2022/1/23)
ホタテのソテー、菜の花のペペローンチーノ炒め添え
湯葉の煮物
新玉ねぎのサラダ
カニの三杯酢
*コモドア盤、”I'll be Seeing You”