“ほぼ“いつも彼らがいた〜太田省一著「放送作家ほぼ全史 誰が日本のテレビを創ったのか」
<青島幸男、秋元康、宮藤官九郎。この3人の共通点はなにか?そう聞かれて即座に答えが思い浮かぶ人はどれくらいいるだろうか?>
太田省一が著した「放送作家ほぼ全史〜誰が日本のテレビを創ったのか」の冒頭は、このように始まる。答えは勿論放送作家である。放送作家という日本独特の職業は、ラジオにおける三木鶏郎で始まった。
三木鶏郎については、昨年ニッポン放送が特番を放送し、私も話題に取り上げた。私にとってはリアルタイムの存在ではないが、彼が生み出したCMソングを始めとした音楽は、頭に刻まれている。
その後、テレビ時代が始まり、三木鶏郎の弟子の一人、永六輔が世に出る。彼を始めとした“放送作家“は、プロデューサー、台本作家、人によっては作詞や作曲も行い、ついには出演者としてテレビに登場する。
永六輔、青島幸男、前田武彦、大橋巨泉、彼らが活躍した当時、“放送作家“として認識することはなかったが、彼らが創り、出演したテレビ番組は、私の目の前にいつもあった。
彼らとは少し外れた立ち位置、早期にテレビの仕事を捨てて、作家としての道に専念した人には、小林信彦、五木寛之がいる。その作品も、私のまわりには沢山ある。
さらには、ビートたけしとのタッグで、世に姿を露出することになる高田文夫がいて、私は長年彼の“至芸“を楽しんでいる。
そう言えば、上京し住んだアパートの隣の部屋は、放送作家だった。表札に「放送作家 山田太郎(仮名)」という千社札が貼ってあった。その時、初めて放送作家という職業があることを知った。
こうして、私の生活に常に存在した“放送作家“という存在、その歴史を書いたのが本著である。著者の太田省一は1960年生まれの社会学者。私と同世代である。その意味では、同じような立ち位置でテレビ・ラジオの動きを見つめてきただろう。
私は読みながら、1980年代半ばあたりからは、興味が減退した。それは、テレビと私の関係性の変化を反映している。テレビが生活に占める割合が減少し、放送作家でそばにいるのは高田先生だけになった。それも、今やテレビではなくラジオだ。
逆に言えば、「ほぼ全史」と称するだけあり、フェアな目線で本書は書かれ、近時に至るまで「全史」として仕上げている。テレビの歴史を考える上で、“放送作家“は重要な存在であり、そのことを俯瞰的に見るための好著だと思う。
“放送作家“という存在がなければ、今のテレビ界は違ったものになっていただろう。その原動力となったのは、終戦を経験した先人たちの社会に対する反骨精神があったようにも思う。
高田文夫ら、彼らの弟子たちがその思いを引き継いで、それは宮藤官九郎などに伝わってはいる。ただ、気になったのは、そうしたテレビが持っていた力の持続力である。昨今のテレビ番組、それに対する規制の数々、テレビは変わったと思うのは、私だけではないだろう。
“放送作家“のパワー、今も必要である
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