「バナナブレッドのプディング」と川上未映子(番外編)〜橋本治を求めて
以前に、橋本治の少女マンガ評論「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」(以下、「花キン」)は革命的名著であると書き、簡単に紹介しました。
1979年、私が高校3年生の春、本作は出版されたのです。私はその頃、受験勉強のかたわらマンガを読み漁り、「だっくす」、改名後の「ぱふ」といったマンガ専門誌を愛読していましたた。そして、橋本治のこの本に触れ、「国語」という科目がようやく分かった気がしたのです。マンガがなぜ面白いのか、なぜ感動するのかを考えることと、文章の解釈を深めることは同質の行為であり、それを自分の文章として表現することが「国語」を学ぶことであると理解したのでした。
川上未映子「春のこわいもの」を読み、「バナナブレッドのプディング」を再読したら、次に行うことは自然の流れでした。。我が家のトイレには小さな本棚が作りつけられており、そこに位置している「花キン」を取り出し、ページをめくってみたのです。
2015年に出た河出文庫新版「花キン 前編」には、橋本治が“あとがき“を書いています。それによると、この本は「少女マンガの評論集」ではなく、「連作長編評論」である。つまり、倉田江美論から始まる、個々の章は総体として一つの作品になっており、前編と後編に分かれているのにも意味があるのです。そして、前編は山岸涼子論で終了し、フィナーレは大島弓子であることが必然なのです。
ちなみに、山岸涼子論は「天人唐草」発表後、「日出処の天子」発表前に書かれていますが、後者を予言しているような箇所がありました。
北宋社から出た初版は1979年に発売されましたが、この“あとがき“で橋本さんは、“倉田江美論“、“山岸涼子論“を書いていたものの(これらが掲載されたのが、上記の「だっくす/ぱふ」でした)、<単行本としての構想は、1978年が終わり近くなるまで定まっていませんでした。というのは、その時まで私の視野の中に大島弓子という作家が入っていなかったからです>と書いています。
橋本さんは、「綿の国星」などの大島作品を読んでいましたが、<不思議と素通りをしていました>。そんな中、「まんが専門誌」との付き合いの中からは、「大島弓子」という名前が力説され、改めて読むべき大島作品を問うと、<女性達の中から、「男には分からないと思うけど」の決まり文句付きで『バナナブレッドのプディング』という答えが返って来ました>。
したがって、「花キン」の最終章は大島弓子論であり、そこには最大のページ数が割かれているのです。そして、その評論のコアになる大島作品は、「バナナブレッドのプディング」(1977年)と、その先にある「綿の国星」(1978年)です。
北宋社版の「花キン」は、大島弓子のイラストカバーでした。「前編」から数ヶ月遅れて出版された「後編」のイラストは素晴らしいものでした。今の河出文庫版も大島さんのイラストで表紙が飾られています。この本は、大島さんが包んでいるものなのです。
「花キン」では、他の大島作品にも触れているので、私はまた読み返す羽目になってしまいました。「花キン」も拾い読みしています。
橋本さんは死んでしまいましたが、作品は残っています