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小説の“あらすじ”をめぐる議論〜朝日新聞「文芸時評」
昨日(9月7日)の朝日新聞朝刊を斜め読みしていたら、ちょっと引っかかった見出しがあった。“本紙「文芸時評」の記述めぐり議論”というものである。
8月25日付の「文芸時評」で、鴻巣友季子が桜庭一樹の小説「少女を埋める」を取り上げたが、その内容につき作品に書かれたものとは全く逆だと、著者の桜庭自身が指摘したというものである。鴻巣氏は、私が共感する翻訳家・評論家の一人である。
私はこの小説を読んでいないが、桜庭の指摘、鴻巣の見解を読むにつけ、「難しいなぁ」と思いつつ、“あらすじ”的なものを読む場合に注意する必要を感じた。
鴻巣はこの小説の中で、夫の看護を背負った母が<夫を虐待した>と書いた。それについて、自分の解釈であることは明記していない。これに対し、桜庭はそのような箇所はなく、<主観的解釈として掲載すべき>とし、<“読者の解釈の自由”を奪った>と書いている。桜庭はこの作品を自伝的小説と位置づけており、コメントには実母の名誉を傷つけたくないという想いも込められている。
桜庭の指摘に対して、鴻巣は<小説にはあえて「言わずに言う」こと>等があるとし、<あらすじも批評の一部なので>、直接描写することに限定するなどの<不文律を作ってしまう事>の危険性を説く。但し、<桜庭さんの気持ちを思うと苦しかった>こともあり、ウェブ版は修正している。
私は、どちらにも与するつもりはないが、“あらすじ”的なものを読む際には注意する必要があることを、改めて感じた。そこには書き手の解釈や想いが当然入っており、それらに必要以上に引っ張られることは、読書の楽しみを損いかねない。それは、小説のみならず、映画などの映像作品などにも通じるだろう。
先日、夏目漱石の「虞美人草」について書いたが、この小説の最後、主要登場人物が死亡する。その死はやや謎めいており、「言わずに言う」ことについて読み手は様々なことを考えるだろう。読後、Wikipediaを参照してみたが、その“あらすじ”を見て驚いた。最後の一行は<●●は毒をあおって自死した>となっている(●●は登場人物の名前)。こうした解釈が絶対的に間違いだとは言わないが、“あらすじ”として掲載することは、明らかに不適切である。
読むもの、観るものを選択する際に、様々な批評を参考にすることはあるが、“あらすじ”の部分は適当に読み飛ばしていると思うが、今後も注意するに越したことはない。そして、Wikipediaは要注意、と改めて思った(言わずもがなだが、Wikipediaには有益かつ正確な情報が掲載されている。ただし、間違いがゼロではないことも事実である)
献立日記(2021/9/8)
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冷奴のレンチンえのきソースがけ
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