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第16回桂吉坊・春風亭一之輔二人会〜「もう半分」vs「宿屋仇」

西の桂吉坊、東の春風亭一之輔が共演する二人会、前回(昨年6月)の会がとても良かったので、裏を返した。2023年2月2日 於日本橋公会堂

吉坊がマクラで話していたが、第1回は2012年だったそうだ。一之輔が抜擢で真打に昇進した年から、今まで続いて来たというのは、二人の芸の相性が良いのだろう。今回のネタは、吉坊「宿屋仇」、一之輔「もう半分」、他一席という構成である。

開口一番、三遊亭二之吉「十徳」に続いて上がった桂吉坊。入ったのは「貧乏神」。小佐田定雄が桂枝雀のために書いた新作落語。枝雀以外で聞くのは初めてだった。吉坊のブログによると、2021年にネタおろし。師匠の桂吉朝がてかげなかった噺で、手本がない中で演じたことが書かれていた。 怠け者の男が、貧乏神を家政婦のように使うという落語らしい話。吉坊によく合った話だと思う。

一之輔は、ネタ出しの「もう半分」。”怪談噺”とも言える演目で、三遊亭圓朝の作。私の手元には古今亭志ん生、先代金原亭馬生、古今亭志ん朝と、古今亭系譜のもの、そして柳家小三治の音源がある。決して心地の良いネタではないので、滅多に聴くことはない。

話に入ると、舞台・客席の照明が落とされ、酒を量り売りして飲ませる酒屋、そこを訪れる初老の男は常連である。一合の酒を飲んだ後、お代わりは「もう半分」と五勺単位で注文する。その男が店を出た後には、彼の持ち物と思われるものが置き忘れてある。その中身は。。。。。

笑える場面はほとんど無く、後味も決して良くない。それだけに難しい。一之輔は、途中の重要な場面において鳴物を入れ、芝居噺のように演じて形式美も見せた。この形、好きである。落語という話芸の懐の深さを示す演目でもあり、是非演じ続けて欲しい。

後半、一之輔は「そんなに長く演らなくていいですよね」と、ガラッと雰囲気を変えて「真田小僧」。小賢しい息子が父親をやり込める話。一之輔の演じる子供は絶品、大いに笑いを取って「もう半分」とのバランスを取った。

最後は吉坊の「宿屋仇」。大師匠の桂米朝が難しい演目と語っていたことが、私の頭には刻まれている。確認しようと米朝のコメントが載っていそうな本を探したら、小佐田定雄著「枝雀らくごの舞台裏」にあった。桂枝雀の持ちネタから、<精選48席>について解説している。「宿屋仇」は、その一つだが、そこに米朝の芸談に触れられている。<「いろいろ言うてるけど、わしもいっぺんでええさかい『宿屋仇』をきっちりと演じてみたいと思うてんのや」>。

大阪・日本橋(にっぽんばし)の宿屋街を訪れた一人の侍。宿屋の客引き/使用人の伊八に静かな部屋に案内するよう頼む。続いてやって来た、兵庫の若い者三人、伊八は彼らを侍の隣の部屋に通してします。芸者をあげて大騒ぎする兵庫の三人、隣の侍は。。。。。

兵庫の三人連れの宴会シーン、場面はガラッと変わって、侍の部屋における侍と伊八のやり取り、伊八は侍の指示を受けて隣の部屋に。落語にしかできない、この場面展開のメリハリを効かせなければ、聴いている観客には何がなんだか分からなくなる。しかも、この転換が数度行われる。

さらに、兵庫からは”三人組”である。つまり、三人のキャラクターを演じ分けなければならない。二人の男でも難しいのに、三人である。

こういう演目を聴くと、桂吉坊が本当に上手い落語家であることがよく分かる。落語に限らず、様々な芸事を身につけたことを通じた実力が発揮されているのである。しかも(これが最も重要だが)、観客を”笑わせ、楽しませる”高座である。

次回は、(確か)九月と言っていたと思う。これからも楽しみな会である


*昨日、「笑点」の新メンバーに一之輔が入ることが発表された。本記事は、日曜日にあげておけばよかったかな。「笑点」については、また明日




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