リニューアルした「神田伯山PLUS」(その2)〜迫力の「村井長庵から〜雨夜の裏田圃」
(承前)
中入り後の、神田伯山。講釈師を目指すきっかけになった作品、「雨夜の裏田圃」を読むと話す。伯山は六代目神田伯龍がこの作品を口演した舞台に触れた。伯龍は2006年に他界しており、伯山は1983年生まれなので、ギリギリ間に合ったという感じである。
ちなみに、伯龍の大師匠が三代目伯山。当代は六代目伯山である。また、八代目一龍斎貞山は、父七代目貞山没後、伯龍の養子/弟子となる。その娘が昨年真打昇進した七代目一龍斎貞鏡である。
大岡越前が「八つ裂きにしてもあまりある」と考えた悪党が三人、徳川天一坊、畦倉重四郎、そして村井長庵である。「雨夜の裏田圃」は、その一人「村井長庵」を描いた連続ものの幕開けである。江戸でニセ医者”村井長庵”を名乗った男のもとに、郷里から弟の重兵衛が訪ねてくる。貧しさが極まり、娘を吉原に売るので手助けして欲しいという依頼である。この「お小夜身売り」か「重兵衛殺し」、そして悪が極まる「雨夜の裏田圃」までを読んだ。
どうしようもない悪の話を、伯山は攻めに攻めて読んでいく。その迫力によって、作品の毒性はどこかに飛んでしまい、ドラマの展開に身を任せるよりほかはなくなる。このあたりに、伯山の芸が現代の観客にアピールしている理由があるのかもしれない。
重兵衛を追い詰める村井長庵が発する、「おーい」の声が印象的に響き、村井長庵と三次のやり取りは、どこまでもダークである。
伯山のX(旧ツィッター)によると、愛用の張り扇が、話の終盤に折れたそうだ。熱演の中で、役割を終えた張り扇は幸福だったことだろう。いや、もしかしたら「雨夜の裏田圃」で命を落とした者の仕業か?
二つ目時代に上梓した「神田松之丞 講談入門」(河手書房新社)を見ると、長井好弘が、<松之丞(当時)は、長庵をちょっとかっこよくやりすぎているかもしれない>と書いている。大義はゼロ、私欲のみを動機としての長庵の行動は、格好良くなければ、救いようがないとも言える。
思い入れのある演目なのだろ、松之丞時代に出したCD「松之丞ひとり」にもこの演目が収録されている。前半をコンパクトにまとめた口演になっている。二つ目時代から上手かったことがよく分かるが、この演目はやはりライブで、空気感を共有するのが理想だろう。
余談だが、2018年7月9日新宿末廣亭、夏の定番番組、神田松鯉の怪談特集に足を運んだ。松鯉がかけたのは「雨夜の裏田圃」。前に上がった、神田松之丞(現・伯山)が読んだのは「芝居の喧嘩」。この日の琴調〜伯山の流れと同じである。これは偶然なのだろうか。
師匠の「雨夜の裏田圃」は、“雨夜“という言葉が似合う、しっとりと包み込むような、それでいて怖さを秘めた語り口だったように思い出す。
伯山のやや狂気を含んだ高座とは対照的、この対照が面白い
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