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“恋人はサンタクロース“ではない(その2)〜川添愛「言語学バーリ・トゥード」

「言語学バーリ・トゥード」を読み進むと、第4章(04)に登場した、”恋人(は/が)サンタクロース?”。

著者の川添愛は30年以上、”恋人は”と勘違いしていたそうで、その理由の一つとして嘉門達夫の“替え歌メドレー”を挙げている。彼が、“恋人はサーンコーン♫”と唄ったからだというのだ。”サーンコーン”はオスマン・サンコンのことである。

余談だが、久しぶりに“替え歌メドレー”を聴いたが、これは傑作である。

この後、言語学見地からの分析が始まる。“恋人がサンタクロース”の歌詞だが、会話形式にするとこんな風に始まる;

隣のお姉さん「今日はクリスマスだから、夜8時にサンタクロースが来るのよ」
子供の私「嘘だー、サンタクロースなんていないんだよ」
お姉さん「あなたも大人になれば分かるわよ」

そして、サビの“♫恋人がサンタクロース”となる。なお、サンタクロースはお姉さんを遠い街に連れて行ってしまう。

川添氏によると、「は」と「が」の違いは、言語学的には<底無し沼>らしいが、一つの説明は、<「は」は旧情報に付き、「が」は新情報に付く>というもので、この歌で言うと、1番の歌詞で“サンタクロース”という情報が先に出現しているので、“恋人”は新情報となり、”新情報が旧情報”となる。

学問的にはそうなのだろうが、感覚的には分かりづらい。特に妻から「“恋人はサンタクロース”っておかしいでしょ」と言われる理由が合点できない。

続く解説で納得ができた。この問題が厄介なのは、<「恋人」と「サンタクロース」という名詞がともに、特定の人物を指すことも役割を表すこともあるという点>という指摘である。

この後、解説が展開されていくが、私なりの納得はこうである。

「恋人がサンタクロース」:”恋人”は1番の歌詞から考えて特定の人物を指す。それが、”サンタ”という太った白い髭の爺さんという特定の人物とイコールになるわけなく、“サンタ”という役割であることが自明

「恋人はサンタクロース」:AはBという構文の場合、基本Bは特定の人物を指すため、お姉さんの恋人は太った白い髭の爺さんということになる

一旦、納得したがなんとなくモヤモヤが残る。「恋人はサンタクロース」でも良いのではないか。注釈に説明があった。AはBという構文には、「AはBという属性を持っている」という使い方もある。

私が「妻はヒットラーである」と語ったとすると、我が家にちょび髭の親父がいるとは解釈されず、妻の独裁的態度に虐げられている私を想像するだろう。

つまり、「恋人はサンタクロース(の性質を有している)」なので、”夜の8時にプレゼントを持って来る。そりの代わりはポルシェである”と解することはできるので、言葉としてはおかしくないということである〜グタグタ言ったとしても、ユーミンはあくまでも「恋人が」と唄っているのだが


献立日記(2021/10/30)
鶏もも肉のハーブマリネ ロースト
トマトとベビースピニッチのサラダ
ゴボウの軽やかサラダ


*同書より

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