奈良岡朋子さんの思い出〜真野響子との舞台で受けた衝撃
女優の奈良岡朋子さんの訃報が流れました。
奈良岡朋子、私の世代は、テレビのドラマでしょっちゅう見ていたと思います。改めて出演作品を眺めると、見ていた記憶にあるのは、母親がよく見ていた「東芝日曜劇場」、そして水前寺清子主演の「ありがとう」(ほとんど日本中が見ていたのではないでしょうか)。名脇役という感じで、中高生にとっての興味の対象ではなかったのですが、名前は頭に刻み込まれていました。
一方、興味の対象という意味では、高校生の私は真野響子のファンでした。1978年、五木寛之原作の映画「燃える秋」に主演した時は、映画館まで行きました。当時は知らなかったのですが、Wikipediaによると、この映画は三越が参画していました。主導したのは、解任決議に「なぜだ!」という名言を残した当時の岡田社長で、そのため黒歴史としてこの映画は封印されているようです。武満徹が作り、ハイファイセットが歌った主題歌も良かったのに、残念です。
真野響子ファンの私は、彼女が劇団民藝の団員であることを知り、大阪公演がないかチェックしていました。(高校生の頃から、こんなことやっていたのです)そして、遂に彼女が出演する芝居が大阪でも開演しました。
芝居のタイトルは覚えていないのですが、色々検索した結果、おそらく「おお、わが町」ではないかと思われます。
そこで私は本物の真野響子を見るのですが、それと共に本物の役者を見ました。それが、奈良岡朋子さんでした。それは、私にとって芝居の初体験だったと思いますが、舞台上の奈良岡朋子の迫力、演技の素晴らしさに圧倒され、“生“真野響子よりも、“生“奈良岡朋子が深く心に刻まれたのでした。
その後、舞台の上の奈良岡さんを観る機会はありませんでした。森光子との“放浪記“、仲代達也との“ドライビング・ミス・デイジー“など、観とけばよかったと後悔しています。
映画の方は、「釣りバカ日誌」での三國連太郎〜スーさんの奥様役は、今もテレビで楽しませて頂いています。(BSテレ東の「男はつらいよ」〜「釣りバカ日誌」の無限ループは、「釣りバカ」が終了し明日からは寅さんです)
先日初めてみた黒澤明監督の「どですかでん」。40歳頃の主演ですが、魅力的な姿を拝見しました。
今朝(3月31日)の毎日新聞朝刊、一面の「余録」で奈良岡さんが取り上げられていました。美空ひばりから<「姉貴としてつきあってほしい」>と頼まれ、ひばりさんのことを本名の和枝さんと呼んでいたこと。石原裕次郎からは「お姉さん」と呼ばれ、吉永小百合とは実の親子のようで、結婚の保証人になったそうです。<タクシーの運転手には「奈良岡さんですね。声でわかります」とよく言われたそうだ>。そうそう、声が素敵でしたね。
舞台はかないませんが、映像の中の奈良岡朋子は永遠です。ご冥福をお祈り申し上げます