スタインバーグの描いた世界〜「シニカルな現実世界の変換の試み」
1990年代初めだろうか、アメリカの雑誌「THE NEW YORKER」を定期購読していた。洒落た表紙絵のこの雑誌の存在は知っていたし、ずっと気になっていた。この頃、村上春樹の短編が英訳されて掲載され始めたこともきっかけだったろう。海外の雑誌の“定期購読“という行為をやってみたかったこともある。当たり前だけれど、雑誌は毎週律儀にアメリカから届いた。ただ、手に入れることで満足感を得た私は、大して読みもせず、表紙絵、中のカートゥーンなどを眺めていた。
3月7日の毎日新聞夕刊に、ソール・スタインバーグという名前、その個展の記事が掲載されていた。なんとなく名前に引っかかると共に、掲載された写真の中の絵に既視感を覚えた。記事の中のプロフィールには、<米誌ニューヨーカーでの仕事で、『漫画に革命を起こした」などと高く評価された>とある。
その個展が銀座のギャラリーで開かれている。しかも、3月12日(土)で終了する〜もっと早く記事にしてよ。早速、見に行った。
スタインバーグは、線を駆使した絵が特徴的ではあるが、この個展では彼の多岐に渡るスタイルを見ることができる。そして、それぞれは、何か現実を皮肉っぽく表現しているものが多い。雑誌に掲載されるカートゥーンという性格もあるのだろう。
中には深い示唆に富むものもある。ニューヨーカーの表紙になっった、1976年の「9番街からの世界の景色(View of the World from 9th Avenue)」。ニューヨークのマンハッタン、ハドソン川の対岸には小さな島があり、そこにはネブラスカ、カンサス・シティーなどと書かれている。マンハッタンが世界の中心と考える、ニューヨーカーを皮肉ったものである。ニューヨーカーに限らず、そんな風に世界を見ていないだろうか。
音楽にまつわる作品も印象に残った。五線紙の上の絵、セントルイス交響楽団のポスター、ジョゼッぺ・ヴェルディが窓から飛び込んでくるイラスト。どれも、絵から音が聴こえてくる。
会場には、無料のリーフレットが置かれており、その一つは横尾忠則からのメッセージである。1967年初めて訪れたニューヨーク、ポスターが全てMOMAに売れ、気が大きくなった横尾は記念に現代美術の版画を買おうとする。目に入ったのはウォーホールの「マリリン・モンロー」だが、「高い」と思う。結局、ストアで、スタインバーグの新刊画集を買う。横尾はその画集を眺め、<スタインバーグは、イラストレーターのピカソだと>、思ったそうだ。
その後、横尾はジャスパー・ジョーンズに会い、彼のスタインバーグに対する思いを共有する。さらに、不思議な縁から、横尾はスタインバーグ本人と会う。
北沢永志が書くもう一枚のリーフレットは、スタインバーグの「私はまだ何の専門家にもなっていない・・・・、幸いにして」という言葉から始まる。スタインバーグは多岐に渡るスタイルを試みるとともに、ニューヨーカーなどの雑誌を、<芸術作品に変えた>。ただ、その<創作性を明確な専門分野に当てはめることができないという状況>が、<美術史の巨匠物語から彼を排除したのです>と記している。
横尾は“巨匠物語“の中にいるウォーホールでなくスタインバーグを選び、“巨匠物語“の中にいるジャスパー・ジョーンズはスタインバーグを愛した。私は、”巨匠物語”の中にいないスタインバーグを認知していなかった。ギンザ・グラフィック・ギャラリーは、よくぞ個展を開いてくれた。(しかも無料で!)
スタインバーグは、ルーマニアに生まれたユダヤ人。イタリアに移住し建築を学ぶも、ファシスト政権から逃れるため1941年アメリカに移った。展覧会の最初に飾られている絵は、1945年の「ひとりの罪人」というタイトルの作品である。中央に立つちょび髭の男は、四方八方から指刺され、その影は骸骨姿となっている。
ウクライナと世界の今を、スタインバーグが生きていたら、どう描くのだろう
*「9番街からの世界の景色(View of the World from 9th Avenue)」