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旅の記憶40〜2つのヤンキースタジアムを体験したこと

ワールドシリーズはドジャースが3連勝、早く決めて大谷を楽にさせてやりたいという気持ちと、もっと試合を見たいという欲がせめぎ合っている。

今日はヤンキー・スタジアムの思い出を書こう。過去の記事を調べてみると、2016年7月に田中将大が先発した試合について書いていた。対戦相手はボストン・レッドソックス、当時はムーキー・ベッツが在籍していた。

初めてヤンキースタジアム、今のものではなく先代のスタジアムを訪れたのは1989年のことだった。会社からの派遣で日本国内の大学院に国内留学中、夏季休暇を利用して渡米した。2週間程度はアメリカの大学の夏季コースに参加、残りの2週間程度は旅行したのだ。

妻のみならず、1歳半の娘づれの旅だったのだが、野球観戦には行きたい。そんな時にヤンキー・スタジアムで平日のデイゲームがあった。これならチケットも取りやすいし、娘を連れて地下鉄で行ける。大学時代にアメリカ旅行に行き、当然ニューヨークにも数日滞在したのだが、その年MLBはストライキに入っていたので観戦はかなわなかった。ようやく訪れた機会である。

ところが、この試合の記憶が殆ど残っていない。妻に尋ねると、試合開始直後、いつものお昼寝の時間に娘が寝たことだけを覚えていると。Baseball Referenceで調べてみると、おそらく1989年8月1日火曜日のミネソタ・ツインズ戦。ラインアップを見て、「そうそう彼がいた」と思ったのは、ヤンキースの三番ファースト、ドン・マッティングリーくらい。彼は、MVP、首位打者など様々なタイトルを獲得、背番号「23」は永久欠番となっている。引退後は、ドジャースなどの監督を務めた。

この時、ニューヨーク・メッツの試合も観ているが、こちらは記憶にある。今わなきシェイ・スタジアム。8月5日日曜日のデーゲームで、取れた席はアッパーデッキの上の方。メッツの先発はシド・フェルナンデス。主砲はハワード・ジョンソンとダリル・ストロベリー。ストロベリーのホームランが、あっという間にスタンドに飛び込んだ。アイスクリームが美味しく、娘も喜んで食べていた。

次にヤンキー・スタジアムを訪れたのは、2001年9月9日。ロンドン駐在時代だが、NYに出張だった。月曜からの仕事に備え、日曜日にNY入り。どうせならと、午前中に到着する便に乗り、ホテルに荷物を置いてスタジアムに向かった。13時プレーボールの試合、対戦相手はレッドソックスで先発は野茂英雄。ヤンキースの方は、アンディ・ペティット、最高のマッチアップである。デレク・ジーターが休養日で出場しなかったことを残念に思ったことを記憶している。

ジーターと並ぶスターは、バーニー・ウィリアムス。野茂は3点取られて6回途中で降板、ヤンキースは勝利を収める。陽の光が燦々と注ぐ中、ビール片手の野球観戦は最高だったのだが。。。。この2日後NYに悲劇が訪れる。私は、NYからシカゴに向かう飛行機の中だった。

2009年、新ヤンキー・スタジアムが開場、2度目のロンドン赴任時だったが、NY出張の機会を捉えて観戦に。9月17日金曜日のナイトゲーム、対戦相手はデトロイト・タイガース。ようやく生ジーターが観られた。さらにアレックス・ロドリゲス、そして松井秀喜は5番に座る。

バックネット裏の良席から、松井のタイムリー・ヒットを目撃、ジーターも2安打。タイガースの主砲は、後に45年ぶりの三冠王にも輝くミゲル・カブレラ、2安打を放つも試合はヤンキースが勝利した。カブレラは昨年まで現役でプレーしていた。

こうして冒頭の2016年の試合が続く。今のところ、それが最後のヤンキー・スタジアムかつMLB観戦である。

さて、ドジャースはヤンキー・スタジアムで優勝を決めるのか


*旅の記憶39はこちら


新球場
旧スタジアム

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