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手塚治虫が書こうとした“日本人”とは〜「グリンゴ」

手塚治虫漫画全集を、何年もかけて読み進めている。「火の鳥」「ブッダ」など好きな作品はあるも、手塚の熱心な読者ではなかった。それでも、巨人の全貌を制覇しようと取り組んだのだ。

全集は400巻あるが、全巻制覇は終盤に入っており、第304巻から3冊続く、「グリンゴ」に取り掛かった。1987年から「ビッグコミック」に連載された、大人向きのマンガである。私は、どんな作品なのか知識を持っていなかった。読み始めると、滅法面白い。

物語の舞台は南米にある架空の都市カニヴァリア、日本の大手商社、江戸商事の支社に、本社から新しい支社長が赴任する。35歳の日本人(ひもと ひとし)という男は、指折りの切れ者との評判である。

日本(ひもと)は赴任早々からアグレッシブに仕事を始め、駐在サラリーマンが好む夜の世界にも興味を示さない。そんな日本の態度が豹変するのは、大相撲のビデオ。彼は草相撲の横綱で関取を目指そうとするも、身長が低く、くすぶる中、江戸商事の幹部に拾われ、叩き上げで今の地位を築く。

南米の地で、ビジネスに人生を賭ける日本人サラリーマンの姿が描かれていき、これが滅法面白い。「グリンゴ」とは、“gringo”、中南米で欧米人、"よそもの"を意味する。日本人も、「グリンゴ」の一種であり、日本(ひもと)も、南米人から厳しい視線・態度を受ける。

さらに、本来の「グリンゴ」である欧米人からは、日本人として蔑視される。日本(ひもと)は、こうしたプレッシャーやコンプレックスをエネルギーに変え、金と出世のために天然資源を追い求めていく。

名前で分かる通り、手塚治虫はこの作品を通して、ビジネスマンの姿を通じて日本人の特質を描こうとした。私もその一人だが、海外に駐在する日本人は、あくまでも“駐在“であって、その土地に完全に溶け込むことはしない人が多い。勤勉ではあるが、結局はよそ者だ。

そんな日本(ひもと)は各地を転々とし、波瀾万丈のドラマの中を生きていくのだが、(ここから少しネタバレ)、アンデスの山奥にある、日本人移民が作ったコロニーにたどり着く。コロニーは”東京村”という名で、そこは戦時中の日本がそのまま残っている。

海外にある日本人村に入った日本(ひもと)一家の運命やいかに、というところで唐突に終わってしまう。「えっ!」と思い、巻数を確かめるが、やはり3冊で終わっている。

そこから調べてようやく分かった。「グリンゴ」は手塚の遺作の一つで、連載途中で打ち切りとなった作品である。

第3巻には“あとがきにかえて“と題して、「グリンゴ」の連載開始前のインタビューが掲載されている。そこで手塚は本作において、<変わった視点から、日本人そのものをみつめなおしてみる>、<日本人という民族はいったい何なのか、あるいは日本人としてのアイデンティティは何かというものを問いただしてみたい>と語っている。

さらに、病気療養の休載を受けて、手塚は4ページのお詫びのマンガを描いたものも掲載されている。そこで手塚は、貧しい国である日本は、ムラ社会であり、働きの悪いものはムラ中から非難され切り捨てられた。そして、<働くことは美徳となり果て>、病気で痩せてしまった手塚自身も病床でマンガを描く。典型的な日本人、<ムラ人間>である。

手塚はこの作品で、日本人に迫るとともに、自分自身は何かを見つめ直そうとしたのではないか。物語の先が読みたかった


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