NICU⑨|普通の子
整形外科の説明が終わり、そのまま息子の面会へ。
整形外科の医師もそのまま同行し、息子の右足の処置をしてもらった。
右足を正常な向きに戻し、その状態をシーネで固定し、最後は補助のため包帯を巻く。
本数は減ってきたとはいえ、人工呼吸器を始め、管もまだまだ付いている。
その状態にさらに右足の処置が加わるとより “重症患者感” が出る。
医療チームが最善を尽くしていることを私たちも理解している分、息子の姿を見て “可哀想” という感情はなく、私たちが気になることを素早く対応してくれたことへの「感謝」の思いでいっぱいだった。
しかしながら、点滴の量を減薬していることもあり、目は覚まさないまでも、身体を動かす回数は明らかに増えている。
そのため息子も、苦悶の表情を浮かべることが多くなってきており、「動かしたいのに動かせないという『ストレス』」を感じているのが伝わってくる。
やはり、そこに対しての「もどかしさ」はあり、「早く抜管して自由に動けるようにしてあげたい…」という思いだった。
そして、この日の面会中は、黄疸の「光線療法」はせず、私たちとの触れ合いをメインにしてくれていたが、今後は面会中以外はずっと光線療法も行っていくとのことだった。
改めて、「普通」というのは物凄く “幸せ” なことなんだと痛感する。
息子は「完全大血管転位症」「先天性内反足」という “二つの先天性疾患” を持ち、細かく言えば「黄疸」もあり、もっと言えば元々が「低出生体重児」でもある。
「五体満足で “普通の子” …」
「才能がなくても “普通の子” …」
「元気な “普通の子” …」
子どもが生まれる時、 “普通の子” という表現をしばしば耳にするが、この「普通である」ということは本来、「最も幸せなこと」であると改めて思う。
もちろん自分の子どもが、そうであって欲しかったからかもしれない。
だが、出産にはそれぞれの家庭に「ドラマ」があるし、普通なんてことはほとんどないのかもしれないとも思う。
息子が生まれて五日。
そんなことも感じるようになってきた。
しかしながら、二つの先天性疾患で大手術や、幼少期の定期な通院生活が待っていようが、私たちは無条件で息子を愛していたし、ずっと信じ続けてきた。
烏滸がましいかもしれないが、
「このお父さんとお母さんなら『疾患』を持って生まれても大丈夫だ!」
と思い、そして私たちを信じて、息子は生まれてきてくれたと思っている。
それは、ある意味嬉しくも悲しくもあるが、私たちに会いに来てくれたことが心から嬉しいし、本当に愛おしい。
懸命に「いまを生きる」息子の姿に、私自身も日々心を打たれ、父として頑張ろうという気持ちになる。
そして、私たちが毎日面会で、息子にエールを送っているつもりでも、それ以上に “私たちが息子からエネルギーを貰っていたんだ” と改めて気づかされる、そんな日だった。