NICU④|似ていると嬉しい
夕方頃に病院に着き、まずは妻との面会。
回復も順調ということで部屋も移動していた。
(経過によって部屋が変わるらしい)
ただ、順調とは言え、後陣痛や傷口の痛みはまだまだあるようで、“痛みにかなりの耐性” がある妻でもしんどそうであり、帝王切開後の身体が、男である私が想像する以上に重いものだと改めて認識する。
30分の面会で話せることは限られるが、 “息子の足の件” も共有し、この後改めて医師に相談してみようということになった。
また、病院に向かう直前に叔父が来たことも話し、本当に感謝でいっぱいなこともそうだが、息子の誕生で周りの家族も「幸せな気持ち」になってくれることは、改めて嬉しいと夫婦で話した。
そんな中、病院が準備してくれた「出生届」を妻から渡された。
右側には “出生証明書” として息子の情報が記載されており、改めてこの世に生まれた実感が湧いてくる。
息子の出生時刻は「13時31分」だが、私が「15時41分」で、妻が「17時51分」。
三人とも「午後」・「1分」!
こういった些細な共通点ですらなんだか嬉しい(笑)
また、私たちは都内在住のため、息子が「東京生まれ」になったこともまた “シティーボーイ” 感があり新鮮だった。
(私たちは神奈川県出身)
そして30分の面会を終え、車椅子を押し息子のいるNICUへ向かった。
到着すると、医療チームの医師がチェックしており、手術後二日間の経過をその場で説明をしてくれた。
先日のBAS手術から、容態は安定しているようで私たちもひと安心。
眠る薬は引き続き投与しているようで、まだ目覚めたところは見れなかったが、点滴の量も減らしていることもあり、指やまぶたが動く回数は昨日より多くなった印象。
また、そのタイミングで “右足の件”も伺ったが、医療チームとしても「先天性内反足」の認識で間違いないということだった。
ただ、医療チームはあくまで「完全大血管転位症」に向けてのチームのため、後日「整形外科」の診察を予定しているとのことで、確定診断としてはそこで行い、詳細も含め改めて説明を受けることとなった。
また、仮ではあるが手術日が「9月5日」に決まったことで、その日を基準に完全大血管転位症の手術を担当する「外科」との面談なども組まれることになり、一つ一つ手術までの道のりが明確になっていく。
現状や今後の流れが不透明だと、親としては不安が大きくなる。
当たり前のことかもしれないが、日々の経過や今後の流れを共有してもらえるのは、親の精神状態的にもプラスであると改めて実感した。
そして、医師のチェックも終わり、引き続き夫婦で息子を見守る。
スヤスヤ眠っている表情を見るだけで心が癒され、親子三人でいるこの時間が、本当に「幸せなひととき」だった。
「今この瞬間がずっと続いてほしい」と思う反面、「早く元気になって三人で家で過ごしたい」という思いもある。
しかしながら、何より “私たちを選んで生まれてきてくれたこと” 、そして息子が私たちに “幸せ” を与えてくれていることが嬉しかった。
その後も話しかけている中、ふと息子のまぶたを見て気づく、
「『二重』の線がっつり入ってない!?」
眠りながらも時折まぶたが動くが、動くたびに “線が入る” 。
私は「二重」で妻は「一重」であり、どちらに似るかお互いに凄く気になっていた。
正直どちらでも可愛いのは間違いないが、妻は「二重」を望んでおり、お腹の中にいる時から「目はお父さん似で~!」と話しかけていた。
その他のパーツは人工呼吸器をつけているため正直判別できなかったが、ひとまず “目” は私の要素を受け継いだようだ。
改めて「自分に似る」というのは、こそばゆいような晴れがましいような気分だった。
そして、その日の面会も終了。
妻を見送り、私も帰路に着いた。