手術⑩|突きつけられた現実
説明室での報告が終わった。
この後、準備が整い次第、息子は手術室から「ICU」に移るということだった。
そして、最後に医師からこう進言された。
「ICUに入室前に、ご家族で凰理くんの顔を見てあげてください」
ICUの入口で、対面できるようにすると仰ってくれた。
面会時間はとうに過ぎていたが、大手術を終えた息子に声をかけられる機会を作ってくれたことは、本当に感謝しかない。
最後に看護師とも話し、準備が整い次第、呼びに来るということだったので、ICU近くのベンチで待機することとなった。
(息子の1回目の手術で最後に私が待機していた場所と同じである)
そして、家族にも連絡し、合流すべく説明室を出た。
手術が無事に終わること、そして、生きた心地がしない極限状態からの解放という願いは叶わなかった。
そして、「『死』という世界線がある」という現実が、私たちの心を苦しめる。
だが、まだ全て終わったわけではない。
息子は今のこの瞬間も懸命に闘っている。
今度は「ECMO離脱」という “新たな闘い” がすでに始まっており、私たちも当然ここで折れるわけにはいかなかった。
しかしながら、
「息子を信じる想い」と「息子が死ぬかもしれない恐怖」
という2つの狭間で、感情が揺れ動く。
この “突きつけられた現実” において、自分保つために感情をコントロールしようと必死だった。
「俺たちの子なら大丈夫だ」
妻にそう声をかける。
妻に対して発した言葉であるが、無意識に自らに対しても、言い聞かせていたのかもしれない。
「親である私たちがしっかりしなきゃね」
「先生方も、最善を尽くしてくれている」
「凰理を信じよう」
と夫婦で言葉を交わし、もう一度気を引き締め、家族の元へに向かった。
そして、家族と合流。
改めて私から、家族に報告をする。
私の父、母、弟も全員俯く。
父は(順調に行かないのか...)と静かに天を仰ぎ、母は号泣しながらも私の妻の元へ駆け寄り、背中をさすってくれていた。
これまでの激動の日々でも、たくさん記してきたが、私の家族は本当に “愛情深い” 。
地方にいる私の末弟や祖母たちを中心に、全国各地にいる家族・親戚からも、凰理に対して日々エールが送られてきていた。
改めて、こんなにも家族から愛されている息子は幸せ者だとも思ったし、その愛に支えられているからこそ、私自身も何があっても大丈夫だと思えていた。
それ故に、この現実が余計に信じられず、私の両親のこの表情を見るのは、非常に辛く、耐え難かった。
だが、前述のように、凰理は今この瞬間も懸命に闘っている。
新たな闘いが始まったが、私たちは信じ続けているし、家族もみんなでエールを送って欲しいと伝えた。
そして、ICUの入口でこの後対面できることも伝え、みんなでしばらく待機していたが、程なくして看護師がベンチに呼びにきた。
「まもなく降りてきますので、入口前でお待ち下さい」
ICU入口前にある「手術用エレベーター」で降りてくるとのことだった。
朝の面会以来の息子との対面...
ECMOの装着により、まだ闘いは続くものの、大手術を乗り越えたことに変わりはない。
懸命に闘った息子を心から労りたかった。
ICU入口に移動してすぐに、エレベーターが点灯し始め、私たちの待つ2Fに向かって降りてくる...
「...3 ...2!」
そして、扉が開き、大きな機械と息子を乗せたベッドと数名の医療チームが出てきた。
私たちもすぐに、ベッドに目を向けた..
しかしながら、そこにいたのは…
“変わり果てた姿の息子” だった...