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誕生④|感動の瞬間


「○○さーん!!! いらっしゃいますか!?」


私の苗字を呼ぶ声が、エレベーターホールに響いている。


顔を上げ、ホールに目をやるとそこには、数人の医師と看護師が「小さなベッド」を押してエレベーターから出てきている姿があった。


(え? え? もう来たのか!)


状況を即座に理解し、持っていたカフェオレをこぼしそうになりながらも、椅子に置いて立ち上がり、数メートル先のホールに駆け足で向かう。


そしてホールに着き、小さなベッドの上には「保育器に入った『我が子』」が待っていた。

「可愛い」「愛おしい」という次元を遥かに超え、これまでの人生で私が覚えてきた言葉では、全くもって表現できないほどの “感動”

目の前いる我が子に対し、お腹の中にいる時とはまた違う、本当の意味での “生命” というものを感じ、「生命の誕生というのは『こんなにもエネルギーに溢れているのか』」という “衝撃” で圧倒された。


静寂なホールに響く「人工呼吸器」や「モニター」の音が段々と消え、そして全てが無になり「私と息子だけが存在している」かのような感覚…

この瞬間のことは、今でも鮮明に覚えている。


そして、その空間で感動に浸っている中、

「おめでとうございます!」

と、医師や看護師の皆さんの声が微かに聞こえ、ふと我に返る。


(本当に生まれたんだ…)

そこでようやく、我が子の誕生という実感が湧いてきた。


「是非、声を掛けて触ってあげて下さい^^」

と、保育器の側面の丸扉を開け、看護師に促される…


(え、触れていいの?)

と、思いながらも、そーっと手を伸ばす… 

しかし、この期に及んで「声が出ない」
なんと声を掛けていいかわからない。

きっと “未知の体験” をした私の思考は停止していたのだろう。


それでも、振り絞ってようやく出てきた言葉は

「よく… 頑張った…」

であった。

もう少し感動的なことを言えると思っていたが、これが心から出た “ことば” なんだと思う。


「誕生まで」で書いてきたように、本当に “激動の日々” だった。


私たち夫婦2人だけではなく、医療チームも、本当に神経をすり減らしながら、最善を尽くし今日まで闘ってきた。

家族や友人、会社の同僚、さらにはSNSで繋がった方々までも、息子に対して、絶え間ない “エール” を送ってくれた。


「全前置胎盤」「完全大血管転位症」という大きな問題を抱え、幾多の困難を乗り越えながら、みんなの想いを胸に、息子は “無事に生まれてくる” ということを成し遂げたのだ。

本当に「愛おしい」


そして、 “私たち夫婦を選んできてくれたこと” に、ただただ「感謝」しかなかった。


息子に触れながら、その後も沢山声を掛けた。

しかし、感動の中で正直ほとんど覚えていない。


そんな中、新生児科の医師より状況を伝えられる。

・予定通り「NICU」へ移動
・チアノーゼも結構出ている
・「肺」の機能が悪い
・酸素濃度の数値も思わしくないため、この後詳細の検査
・投薬や処置をして数値上昇が見込めない場合は「手術」を実施

チアノーゼは「完全大血管転位症の『ⅰ型』」であるため想定内ではあり、実際、顔も “青色” に近かった。

しかしながら、想定より「肺」の機能が悪く、さらに酸素濃度やその他も懸念点があるということで、一旦詳細検査を行うとのことだった。

そして「NICU」に移動するため対面は終了し「宜しくお願い致します」と息子を見送った。


そして、看護師から、

「この後は、奥さまの処置が終わり次第、連絡が来ますのでそれまでお待ち下さい」

と告げられ、再び待合室で待機へ。


時間にして、僅か “1~2分” という短い時間であったが、一生忘れない「感動の瞬間」だった。



つづく


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