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誕生④|感動の瞬間
「○○さーん!!! いらっしゃいますか!?」
私の苗字を呼ぶ声が、エレベーターホールに響いている。
顔を上げ、ホールに目をやるとそこには、数人の医師と看護師が「小さなベッド」を押してエレベーターから出てきている姿があった。
(え? え? もう来たのか!)
状況を即座に理解し、持っていたカフェオレをこぼしそうになりながらも、椅子に置いて立ち上がり、数メートル先のホールに駆け足で向かう。
そしてホールに着き、小さなベッドの上には「保育器に入った『我が子』」が待っていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1729060372-f94O7M0bECAWnxtimSgdXV6N.jpg?width=1200)
「可愛い」「愛おしい」という次元を遥かに超え、これまでの人生で私が覚えてきた言葉では、全くもって表現できないほどの “感動” 。
目の前いる我が子に対し、お腹の中にいる時とはまた違う、本当の意味での “生命” というものを感じ、「生命の誕生というのは『こんなにもエネルギーに溢れているのか』」という “衝撃” で圧倒された。
静寂なホールに響く「人工呼吸器」や「モニター」の音が段々と消え、そして全てが無になり「私と息子だけが存在している」かのような感覚…
この瞬間のことは、今でも鮮明に覚えている。
そして、その空間で感動に浸っている中、
「おめでとうございます!」
と、医師や看護師の皆さんの声が微かに聞こえ、ふと我に返る。
(本当に生まれたんだ…)
そこでようやく、我が子の誕生という実感が湧いてきた。
「是非、声を掛けて触ってあげて下さい^^」
と、保育器の側面の丸扉を開け、看護師に促される…
(え、触れていいの?)
と、思いながらも、そーっと手を伸ばす…
しかし、この期に及んで「声が出ない」。
なんと声を掛けていいかわからない。
きっと “未知の体験” をした私の思考は停止していたのだろう。
それでも、振り絞ってようやく出てきた言葉は
「よく… 頑張った…」
であった。
もう少し感動的なことを言えると思っていたが、これが心から出た “ことば” なんだと思う。
「誕生まで」で書いてきたように、本当に “激動の日々” だった。
私たち夫婦2人だけではなく、医療チームも、本当に神経をすり減らしながら、最善を尽くし今日まで闘ってきた。
家族や友人、会社の同僚、さらにはSNSで繋がった方々までも、息子に対して、絶え間ない “エール” を送ってくれた。
「全前置胎盤」「完全大血管転位症」という大きな問題を抱え、幾多の困難を乗り越えながら、みんなの想いを胸に、息子は “無事に生まれてくる” ということを成し遂げたのだ。
本当に「愛おしい」。
そして、 “私たち夫婦を選んできてくれたこと” に、ただただ「感謝」しかなかった。
息子に触れながら、その後も沢山声を掛けた。
しかし、感動の中で正直ほとんど覚えていない。
そんな中、新生児科の医師より状況を伝えられる。
・予定通り「NICU」へ移動
・チアノーゼも結構出ている
・「肺」の機能が悪い
・酸素濃度の数値も思わしくないため、この後詳細の検査
・投薬や処置をして数値上昇が見込めない場合は「手術」を実施
チアノーゼは「完全大血管転位症の『ⅰ型』」であるため想定内ではあり、実際、顔も “青色” に近かった。
しかしながら、想定より「肺」の機能が悪く、さらに酸素濃度やその他も懸念点があるということで、一旦詳細検査を行うとのことだった。
そして「NICU」に移動するため対面は終了し「宜しくお願い致します」と息子を見送った。
そして、看護師から、
「この後は、奥さまの処置が終わり次第、連絡が来ますのでそれまでお待ち下さい」
と告げられ、再び待合室で待機へ。
時間にして、僅か “1~2分” という短い時間であったが、一生忘れない「感動の瞬間」だった。