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ECMO⑩|はじまりの日


手術室を後にし、病院内のカフェで待つ私たち。

説明室を出たのが、12時30分頃。
そこから計算すると、処置終了の目安は14時30分頃となる。


3日前の手術の待ち時間と比べれば、幾分か落ち着いている。


先ほどの説明での数値的な改善、そして何より医師の空気感。

(これは多分大丈夫だろう)と夫婦2人で感じていた。


だが、ソワソワ感が完全に無くなるということはなく、夫婦で会話を交わしながらも、お互い息子のことが頭から離れない。


(凰理、頑張れ...!)

今できることは、「信じて祈る」ということのみ。
2人で息子に意識を向け、エールを送る。


無事離脱が成功したら、次は「閉胸」。
そして経過を見てNICUへ帰還、その後GCUを経て自宅へ帰る...

期待と不安が交錯しながらも、 “退院までの未来” を想像する。


そして、この「9月8日」という日は、実は私たち夫婦にとって、とても思い入れのある “大切な日”

「私たちが交際を始めた日」

なのである。


私たちが、恋人として “2人の歩み” をはじめた日。
そんな特別な日に、息子がECMOの離脱トライをする。

「ECMOの離脱」は “自発的な生命活動” を意味し、自らの力で一歩踏み出すという意味では、本格的な人生のはじまりでもある。


「これは、凰理が合わせてきた説あるかもね(笑)」

明日の予定だったものが、この日に前倒しされたのも、 “息子のシナリオ” なのではないかとさえ思ってしまう。


「私たちの “はじまりの日” に、息子の人生も改めて “はじまり” を迎える」

中々 “ロマンのある脚本” である。
そうだったら面白いなと思いながら、そうなることを夫婦で願っていた。


そんな中、私の母から「13時20分ごろ到着予定」と連絡が入る。

終了時刻の目安は14時30分。
息子の処置が終わる前には合流できそうな流れであった。


「お義母さん、途中でお昼とか買ってきてくれているかもね^^」

「確かに買ってきてそうだな~、ちょうど○○駅の乗り換えのところのお店とかで…」


と、夫婦でそんな会話をしていた中、母から

「お昼は食べた?」

と追加でメッセージが届く。


(これは、「何か買ってこようか?」ってことだろうな~)と思い、

「昨日貰った “ニョッキとフルーツ” つまんだから、特に買うものないよ!」


と伝えたが、


「○○駅の乗り換えの時に、パンと天むす買った(笑)!」

と返信が…


まんま私たち夫婦の予想通りであった(笑)


「でしょうね(・ω・`)笑 ありがとう!」

と私も母に返信し、到着を待った。


そして時間通り、私の母が病院に到着。

何ともお高そうな「天むす」と「シュウマイ」、その他「パン」など沢山買ってきてくれていた。

後に、大活躍するこの食料たち。
改めて私の母の “気遣い” には感謝である。


しかしながら、母が到着して10分ほど経った頃、私の携帯が鳴る。


「え、もう!? 早くないか?」

と思わず声に出してしまった。
まだ時刻は13時30分を回ったばかりで、予定より1時間も早い。


そして、恐る恐る通話ボタンを押す。
ICUの看護師からであった。

「凰理くんの処置が終わりましたので、ICUまでお越し下さい」

もう処置が終わったということだった。


そして、私の母に荷物を預け、妻と2人で急いでICUへ向かった。


つづく


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