NICU㉒|親子の約束
9月4日、手術前日。
この日も夫婦で息子の面会へ。
NICUに入り、この日も体温調節のためのニット帽を被った息子と対面。
少しして医療チームの一人から、現状報告を受ける。
数値的には異常は無しだが、所々悪化してきているところが出てきているとのこと。
また、体重は生まれた時の「2,167g」には戻っておらず、現在 “2,000g未満” であったが、本来生後一週間程度で行う手術を、二週間にしたことで他のリスクの予兆も出始めたようだった。
ただ、総合的に判断しても、明日行うのがベストということで、手術は予定通り実施するということだった。
そして、明日の段取りも改めて共有いただいた。
手術日は特例で、朝8時からNICUで両親だけ面会が許可されるとのことだったので、私たちも朝から行くことにした。
また、前回の手術と同じように、 “手術室がNICUとは別の棟” のため、今回も移動が必要となり、その間は両親以外の家族も同行可能となるということだった。
私たち夫婦以外は全員、まだ写真でしか息子を見ていないため、この移動中が退院前に会える数少ないチャンスとなる。
(この次は「ICU」→「NICU」の移動時なので、約2-3週間後)
ただ、眠る薬を投与中のため、息子の起きている姿は見れるわけではなし、見れても移動中の僅か “5分程度” 。
さらに9月5日は平日(木曜日)であり、しかも手術は午前中。
家族もそれぞれ仕事をしている身であり、平日の昼間に時間を作ることは中々難しい。
しかしながら、私としては「家族」にはどうしても来てほしかった。
私の両親にも、義母にも「孫」という存在を、実際に見て感じてほしかったし、新しい家族として愛で包み、小さな身体で手術に挑むことに “エール” を送ってほしかった。
そして、息子にも「家族みんなに愛されている」ということを感じてほしかった。
今でこそ、「想い」や「エール」、「意識」というのは、 “距離に関係なく相手に届く” と科学的に言われているようだが…
私としては、「 目の前に “いる” 」ということが、凄く意味があることだと思っている。
人として形を成している限り、目の前に、そしてそばに “いる” ことで、安心感だったり、幸福感だったり、より鮮明に感じると思う。
息子が生まれてから毎日過ごす中で、幸せな日々を感じ、逆に親である私たちがエネルギーを貰うほどであった。
息子の存在自体が周りに様々な影響を与えていたし、生まれながらに「人を幸せにする子」だと感じていた。
私たちにとって、本当に神秘的な存在。
だからこそ、手術前の僅かな時間でも、息子の元に来てその「神秘的な姿」と「生命力」を、 “家族” に感じてほしかった。
それが、父親として… いや “私のエゴ” だったとしても。
医療チームの医師も、看護師も、「この移動中の家族の同行は息子さんに対してのエールになるから是非」と了承してくれた。
その後も「幸せなひととき」をこの日も過ごし、そしてこの日の最後に、妻と息子と三人で「ゆびきり」をした。
「三人で手術を乗り越えて、元気で家に帰る」という約束を…