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NICU㉑|眠っていた感情


大量の点滴やカテーテル、眠る薬を投与された姿...
入院中期の身軽になった姿を知っているからか、やけに重装備に感じる。

そんな息子を見て、何かがプツンと切れたかのように感情のストッパーが外れ、私は涙が止まらなくなってしまった。

免疫力が下がっているせいなのか、ここまでの日々の心労なのか、自分の感情がコントロール出来ない。

この期に及んで、今まで私が心の奥で眠っていたであろう感情が一気に溢れ出てきてしまう。

(なんで俺の息子がこうならなければならないんだ)
(俺の愛情が足りなかったのか)
(俺の遺伝子が良くなかったのか)
(俺が引き寄せたのか)
(こんなに愛してるのにあまりにも無情じゃないか...)

悲しさ、悔しさ、苦しさ、そして怒り。
あらゆる感情が次々に湧いてくる。


「凰理を100%信じている」ということが、揺らぐことはないし、この時も例外ではない。

しかしながら、

(こんな試練与えなくたっていいじゃねぇかよ...)

と思ってしまう自分も出てくる。


「乗り越えられる試練しか与えない」と言われても、それが自分の息子にそれをさせるのは、親として本当に苦しくもどかしい。

(代わることができるなら代わりたい)

と、こんなに強く思ったことはない。


息子を「愛すること」「信じること」、それが親としてできる “最大のエール” であることは、頭ではわかっている。

そう、わかっている。

だが、わかっているけど、己の無力さを感じてしまう。


(凰理、それが、お前が選んだ「運命」なのか...?)

息子とて、今は赤子でもこの世に生を享けたひとりの人間。
「凰理の人生は、凰理が決める物語」であると思っている。

凰理が選んだのであれば、親として尊重するし、最大限のサポートをする。

今こうして書いていても、このスタンスは変わらない。

しかしながら、そういうスタンスの父親で在りたいと思っていても、やはりこの状況下で私も感情が揺さぶられてしまっていた。


「小さい身体でよく頑張ってるな...」
「自由に身体動かしたいよな」
「お母さんに抱っこされたいよな」
「お母さんの母乳飲みたいよな」
「注射も痛いよな」
「手術、怖いよな...」
「生まれたばっかでこんな思いさせてごめんな...」

息子の頭を撫で、涙を流しながら話しかける。


正直、私もここまで感情が溢れることは中々ない。


もしかしたら、息子自身の “手術に対する恐怖の感情” を私が受け取ったのかもしれない。

または眠っている息子からのアクセスなのか、私に “何か伝えようとしてる” のではないかとさえ感じる。

それが合っているかどうかはわからない。
だが、もしそうだったとしたら、懸命に頑張っている息子を前に、父親である私がこんな状態ではいけないと、段々我に返っていく。


(俺も人間だし、「人の親」なんだな...)

と改めて気づかされた。


そんな中、看護師たちも私の涙に気づいており、そっとしてくれていた。

妻もすぐ私の異変に気づき、凄く驚いていたようだが、共に涙を流しながらも、私の肩をさすり支えてくれている。
(こういう時共倒れしない夫婦関係なのが良かった)


そして、

(一家の大黒柱の父親がしっかりしないとな!)

と気持ちを切り替え、


「うし! もう大丈夫!」

と妻にも伝え、改めて夫婦で息子に話しかける。


「凰理、お父さんとお母さんずっとそばいるからね」
「みんなついてるから大丈夫よ^^」

やはり、ポジティブな言葉をかける方が、息子も安心するだろうし、何より私たちの心持ちが良い。

そんなことを改めて思いながらも、引き続き息子との幸せな時間を噛み締める私たちだった。


つづく

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