ムック『ママ』
アルバム『葬ラ謳』収録曲。
虐待されて亡くなった子どもの歌にも聴こえますし、飼い主に捨てられて保健所で殺された動物の歌にも聴こえる曲です。
何度も何度も繰り返します。
〝ママ〟への愛を。
子どもはたとえ虐待されようとも親を愛してしまいます。
ペットも飼い主を愛してしまいます。
けれど、この曲に出てくる〝ママ〟は違います。
〝ママ〟はとても綺麗。
でも、抱きしめてはくれません。
何度聴いても涙が出てきます。
ママにだって何らかの事情はあったのかもしれません。
けれど、訪れるのは最悪の結末…。
この曲のように、子どもやペットを死に追いやる人間が、この曲が発表されてからかなりの年月を経た現在も存在するという現実に、悲しみというよりも怒りがわいてきます。
とはいえ、子どもを殺したりせずに、捨てたり、施設に入れたりするのは、まだ少しは心ある親と言えるのかもしれません。
それなら子どもは生きられるから。
子どもが欲しくても授かれない人は世の中に沢山いるわけですし、実の親ではなく他の人が育てたって子どもはちゃんと育つのだから、虐待の末に殺したりするよりは、「こうのとりのゆりかご」といった仕組みを活用して、子どもの命が助かる道を選んでくれた方がずっとマシ。
けれど、当たり前ですが、殺してしまったら、子どもは生きられません。
ペットにも同じことが言えます。
失われた命が戻ることはありません。
絶対に。
余談ですが、わたしは以前、生まれて間もないであろう物凄く小さな子猫が段ボールの中に捨てられているのを拾い、動物病院に連れて行ったら「弱っているから助からない」と言われ、どうにか助けようと哺乳瓶で子猫用ミルクを与えようとしたのですが、その子猫があまりにもグッタリしていてミルクを全く飲んでくれなくて、苦しみ続けた上に衰弱して死んでしまう姿を目の当たりにしたことがあります。
きっとあの子は最期まで、この曲のようにママを探していたのだろうと思います。
その出来事に、わたしは今もなお激しい憤りを覚えています。
「何らかの事情で飼えなくなったなら、なぜ里親を探したり、里親が見つからないならなぜ保護団体に預けないの?」 と心の底から思います。
しかし、世の中には色々な考え方の人がいるものです。
「ペットに去勢や避妊をするのは人間のエゴだ。子どもを産むのが動物の本能だ。だから俺はうちの猫に子どもを産ませるだけ産ませてやってる。でも自分は飼えないから毎回必ず子猫は遠くへ捨てに行く。里親を探すなんて面倒だし、保護団体に預けるのも面倒だ」と言う人も、世の中にはまだまだいるのです。
なお、上記のセリフは以前わたしの元上司(不祥事を起こして退職済)が職場で言っていたセリフです。
わたしは耳を疑いました。
クズだと思いました。
きっと子猫も母猫も必死にお互いを探して泣き叫んだに違いありません。
けれど世の中にはわたしの元上司のような意見の人もいるのですよね。
残念ながら。
こうした現状を目の当たりにする中で、「人間が人の親になることやペットを飼うことを免許制にしてはどうか?」という意見を持つ人も世の中には居ます。
それほど憤っている人が多いのでしょう。
人間が人の親になることを免許制にするのは優生保護的な意味合いを含みかねないので実現は難しいでしょうが、せめてペットを飼うことくらいは免許制にしたらいいのにとわたしも思います。
どんな命だって、軽々しく扱われて良いはずが無いから。
子どもも。
ペットも。
小さな命が奪われる、そんなニュースを目にする度、わたしはムックのこの曲を聴きたくなります。
虐待。
この2文字をニュースで見ない日はありません。
一体いつまで繰り返されるのでしょう。
大人の命も含めて、どんな命も尊重されるべきなのに…。
出来るなら、いつか未来を生きる人たちがこの曲を聴いた時に、「えっ、昔はこんな風に命がひどく扱われていたの? みんなが大事にされている今じゃ、考えられないね。ひどい時代があったんだね」と、良い意味でこの曲に全く共感出来ない人たちが増えてくれることをわたしは願い続けています。