観世音菩薩普門品第二十五①【はじめての法華経】vol.8
【はじめての法華経】は、私が法華経を少しずつ読んでいく過程を報告するコーナーです。
今回から早速お経文を読んでいくわけですが、その前に、どこから読むか?というのを決めないといけません。
私がこれから読もうとしている法華経は、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』になります。このお経は28章で成り立っています。
最初は、順番どおり「序品第一」から読んでいこうかなと思っていました。しかし、それよりも、名前だけでも聞いたことのある部分から読んだ方が、たくさんの人に楽しんでもらえるのではないかと思い直しまして、おそらく日本国内で最も多く読まれているであろう「観世音菩薩普門品第二十五」から読むことにしました。いわゆる「観音経」と呼ばれている部分です。
『妙法蓮華経』というお経は主に日蓮宗や天台宗で読まれているお経ですが、「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)だけは他の宗派でも読まれており、非常にポピュラーなお経です。
また、「観世音菩薩」、いわゆる「観音さま」についても、日本中のお寺にたくさんのお像がありますし、交通安全を願って道端にお像が建てられることもありますから、日本人にとってはかなり身近な菩薩さまだと思います。
お経は漢文と書き下し文を掲載します。出典は『真訓両読 妙法蓮華経並開結』(平楽寺書店、2008年)です。
また、漢字につきましては、できるだけ読みやすくなるよう、いわゆる旧字体のものは新字体に直して書きますのでご了承ください。
それでは、早速読んでいきます。どうぞお付き合いください。
妙法蓮華経
観世音菩薩普門第二十五
爾時無尽意菩薩。即従座起。偏袒右肩。合掌向仏。而作是言。
爾の時に無尽意菩薩、即ち座より起って、偏に右の肩を袒ぎ、合掌し仏に向いたてまつりて、是の言を作さく、
世尊。観世音菩薩。以何因縁。名観世音。
「世尊、観世音菩薩は何の因縁を以てか観世音と名くる」と。
仏告無尽意菩薩。
仏、無尽意菩薩に告げたまわく、
善男子。若有無量。百千万億衆生。受諸苦悩。聞是観世音菩薩。一心称名。観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱。
「善男子、若し無量百千万億の衆生あって諸の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて一心に名を称せば、観世音菩薩即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得せしめん。
ちょっと短いですが、無理なく続けられそうな分量でやっていきたいので、このくらいにします。
まずは、無尽意菩薩という菩薩が、立ち上がり、合掌して、お釈迦さまに質問するところからお経が始まりました。
「偏袒右肩」というのは、インドの伝統的な礼儀作法で、右の肩をあらわにし、左の肩を布で覆うというものです。敬意を表すときにこのようにします。
無尽意菩薩は、「お釈迦さま、観世音菩薩さまはどのような因縁があって、「観世音」という名前がつけられたのでしょうか」と質問します。
お釈迦さまは、次のように無尽意菩薩に告げます。「もし、さまざまな苦しみに悩まされている百千万億の衆生が、観世音菩薩のことを聞いて、一心にその名前をとなえたならば、観世音菩薩は即座にその声を観じて、それらの人々を皆解脱させるであろう」と。
ここからわかるのは、観世音菩薩が「観世音」と名付けられたのは、「人々の音声(声)を観ずる(聞く?)」ことができるから、ということですね。
そして、観世音菩薩の名前をとなえると、それを観世音菩薩が聞いて、となえた人は解脱できる(苦しみから救われる)ようです。
どんな時でも、どこにいても、観世音菩薩の名前をとなえる声を聞きつけて、救ってくださるということでしょうか。
観音さまと言えば、その美しいお像の雰囲気から、いつでも手を差し伸べてくださる慈悲深い菩薩さま、というイメージを持っていましたが、そもそもお経文にも、このように自由自在な力を持ち、かつ慈悲深いということが描かれていたんですね。
このあとも、さまざまなシチュエーションで観世音菩薩の名前をとなえた場合にこのように救われる、ということが語られるようです。楽しみですね。
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今回は以上になります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。