観世音菩薩普門品第二十五②【はじめての法華経】vol.9
【はじめての法華経】は、私が法華経ほけきょうを少しずつ読んでいく過程を報告するコーナーです。
前回から、『妙法蓮華経』「観世音菩薩普門品第二十五」を読み始めました。今回はその続きです。(前回の記事はこちら)
前回読んだ部分では、観世音菩薩が「観世音」と名づけられた理由について、「観世音菩薩の名前を一心にとなえれば、いつどこにいても観世音菩薩がそれを聞き、その人が救われるからである」と説かれました。
今回読む部分では、さまざまなシチュエーションで、観世音菩薩の名前をとなえた人が救われる様子が説かれるようです。
それでは読んでいきましょう。
若有持是。観世音菩薩名者。設入大火。火不能焼。由是菩薩。威神力故。
若し是の観世音菩薩の名を持つことあらん者は、設い大火に入るとも火も焼くこと能わじ、是の菩薩の威神力に由るが故に。
若為大水所漂。称其名号。即得浅処。
若し大水に漂はされんに、其の名号を称せば即ち浅き処を得ん。
若有百千万億衆生。為求金銀瑠璃硨磲碼碯。珊瑚琥珀。真珠等宝。入於大海。
若し百千万億の衆生あって金・銀・瑠璃・硨磲・碼碯・珊瑚・琥珀・真珠等の宝を求むるを為て大海に入らんに、
仮使黒風。吹其船舫。飄墮羅刹鬼国。
仮使黒風其の船舫を吹いて、羅刹鬼の国に飄墮せん。
其中若有。乃至一人。称観世音菩薩名者。是諸人等。皆得解脱。羅刹之難。
其の中に若し乃至一人あって観世音菩薩の名を称せば、是の諸人等皆羅刹の難を解脱することを得ん。
以是因縁。名観世音。
是の因縁を以て観世音と名く。
まず、「是の観世音菩薩の名を持つことあらん者」というのは、観世音菩薩に対する信仰を持っていて、いざと言うときにいつでも観世音菩薩の名前をとなえることができる人のことを言っているのかなと思います。
そして、そういう人は、観世音菩薩の威厳ある神通力によって、燃え盛る炎のなかに入ってもその身を焼かれることはないのだそうです。
また、反対に大きな水の流れに飲まれてしまったときも、観世音菩薩の名前をとなえれば、浅瀬にたどり着くことができると言います。
あるいは、さまざまな宝石を求めて航海に出て、黒風(巻き上げた砂塵によって空が暗くなるほどの暴風)が吹いて船が恐ろしい鬼の住む国に漂着してしまったとしても、その船のなかに一人でも観世音菩薩の名前をとなえる者がいたならば、船に乗っている人は皆、鬼に襲われても逃れられる、と説かれています。
宝石の一つとしてあがっている「硨磲」は、お寿司のネタの「シャコ」ではなくて、「シャコガイ」のことでした。大型で美しい貝のようです。
仏教経典では「七宝」(金《きん》・銀・瑠璃・硨磲・碼碯・珊瑚・真珠)と呼ばれる宝石がよく出てくるとされていますが、今回読んだ部分ではさらに「琥珀」が加えられて、8種類の宝石が列挙されていますね。
これらの宝石を求めて航海に出て、暴風が吹いて船が鬼の国(鬼ヶ島みたいな感じでしょうか)に流れ着いてしまうなんて、なんだか海賊の大冒険のようです。
でも、そんなときでも、船の乗組員のなかに一人でも観世音菩薩の名前をとなえる人がいれば、難を逃れることができるのですね。
ここでは「解脱」と言っていますが、「羅刹の難を解脱する」と書いてありますので、いわゆる「煩悩から解き放たれて悟りを得る」という意味の「解脱」ではなく、「災難から逃れる」という意味で使われているのかなと思います。
このあとも、さまざまな困難に見舞われたとき、観世音菩薩の名前をとなえればこのように救われますよ、という話が続きますので、引き続き読んでいこうと思います。良かったらまたお付き合いください。
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今回は以上になります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。