立正安国論②【お祖師さまのおしえ】vol.11
【お祖師さまのおしえ】は、私がお祖師さま(日蓮聖人)の御遺文を少しずつ読んでいく過程を報告するコーナーです。
今回は「立正安国論②」です。まだ①を読んでいない方はこちらからどうぞ。
前回書き忘れてしまったのですが、『立正安国論』は漢文で書かれています。そのままだと読みづらいので、ここでは書き下し文にして載せています。
参照しているのは、『昭和底本 日蓮聖人遺文』(日蓮教学研究所、改訂増補第三刷、2000年)と、『日蓮聖人全集 第一巻 宗義1』(春秋社、1992年)です。
それでは、続きを読んでいきましょう。今回は、旅人の第1回目の質問の続きです。
しかる間、
或は利剣則是の文を専らにして西土教主の名を唱え、
或は衆病悉除の願を恃みて東方如来の教を誦し、…
「しかる間、」
まず「しかる間」というのは、前回読んだ部分で言われているように、「災害・飢饉・疫病の流行によって人々が苦しみ多くの死者が出ている現状からなんとか脱却しようとして」という意味です。
世にはびこる苦しみから救われるために、さまざまな人(宗派?)によって説かれている教えが、ここから列挙されます。
「或は利剣則是の文を専らにして西土教主の名を唱え、」
「或は」というのは、「ある人は」と言う意味です。
「利剣則是」は、中国・唐の時代に生きた浄土教の僧侶・善導によって書かれた「般舟讃」と呼ばれる書物のなかの一文で、「利剣即是弥陀号、一声称念罪皆除」を略したものです。
「利剣」とは鋭い刃物のことで(鋭利な刃物って言いますものね)、ここでは煩悩や邪悪なものを断ち切ってくれる仏法のありがたさを表現しています。
「弥陀号」というのは、「阿弥陀如来の名号」、つまり、「阿弥陀如来の名前」ということです。
ですので、「利剣即是…」とは、「利剣とはすなわち阿弥陀如来の名号であり、ひと声その名前をとなえ念じたならばすべての罪が除かれる」という意味でしょう。
「専らにして」というのは、「一つのことに集中して」という意味ですから、「「利剣即是…」という文章によって説かれる教えだけに集中して」ということなのだろうと思います。
「西土」というのは、「西方極楽浄土」のことです。なので、「西土教主」とは「西方極楽浄土の教主である阿弥陀如来」という意味になります。
ですので、ここは、「阿弥陀如来の名前をとなえて」という意味ですね。
総合しますと、「ある人」は、「利剣即是…」という教えをひたすら信じて、阿弥陀如来の名前をとなえること、つまりお念仏をすることによって苦しみから救われようとした、ということになるでしょう。
「或は衆病悉除の願を恃みて東方如来の教を誦し、」
次は、「病気」に関することが書かれています。「衆病悉除」とは「この世のすべての病気がことごとく除かれる」ということです。
また、「東方如来」というのは、「東方浄瑠璃世界」の仏である「薬師如来」のことです。
仏教では、一人の仏さまに対して、その仏さまがお住まいになる「仏国土」が決まっています。
さきほど出てきた阿弥陀如来の仏国土は「西方極楽世界」(極楽浄土)です。お釈迦さまの仏国土は、「娑婆世界」と言って、いま我々が生きているこの世界のことを指します。
そして、薬師如来の仏国土は「東方浄瑠璃世界」です。阿弥陀如来が西であるのに対して、薬師如来は東なんですね。
薬師如来は人々の病気を取り除いてくれる仏さまですから、「ある人」は、疫病の流行がおさまるよう、薬師如来に祈ったのでしょうね。
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今回は以上になります。だいぶゆっくりな速度で恐縮ですが、言葉の意味を調べるのに時間がかかってしまうのと、まだまだ文章を書くということに不慣れということもありまして、ご勘弁ください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
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