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観世音菩薩普門品第二十五④【はじめての法華経】vol.11

【はじめての法華経】は、私が法華経ほけきょうを少しずつ読んでいく過程を報告するコーナーです。

今回は『妙法蓮華経みょうほうれんげきょう』「観世音菩薩かんぜおんぼさつ普門品ふもんぽん第二十五だいにじゅうご」④です。(①~③はこちら

前回読んだ部分では、刀や杖で危害を加えられそうになっても観世音菩薩の名をとなえればその刀や杖がバキバキッと折れ、また全宇宙から悪鬼が集まってきても、観世音菩薩の名をとなえた人は悪鬼から見られることすらない、と説かれました。

今回読む部分では、どのようなシチュエーションで、観世音菩薩の名前をとなえた人が救われるのでしょうか…

それでは読んでいきましょう。



設復有人せつぶうにん若有罪にゃくうざい若無罪にゃくむざい杻械枷鎖ちゅうかいかさ検繋其身けんげいごしん

たとひとあってしはつみあり、しはつみきに、杻械ちゅうかい枷鎖かさ検繋けんげいせん。


称観世音菩薩名者しょうかんぜおんぼさつみょうしゃ皆悉断壊かいしつだんね即得解脱そくとくげだつ

観世音菩薩かんぜおんぼさつしょうせば、みなことごと断壊だんねして、すなわ解脱げだつすることをん。


若三千大千国土にゃくさんぜんだいせんこくど満中怨賊まんちゅうおんぞく有一商主ういちしょうしゅ将諸商人しょうしょしょうにん齎持重宝さいじじゅうほう経過険路きょうかけんろ

三千大千国土さんぜんだいせんこくどなかてる怨賊おんぞくあらんに、ひとりの商主しょうしゅあってもろもろ商人しょうにんひきい、重宝じゅうほう齎持さいじして険路けんろ経過きょうかせん。


其中一人ごちゅういちにん作是唱言さぜしょうごん

なか一人いちにん唱言しょうごんさん。


諸善男子しょぜんなんし勿得恐怖もっとくくふ汝等応当にょとうおうとう一心称観世音菩薩名号いっしんしょうかんぜおんぼさつ

もろもろ善男子ぜんなんし恐怖くふすることをなかれ。汝等なんだち応当まさ一心いっしん観世音菩薩かんぜおんぼさつ名号みょうごうしょうすべし。


是菩薩ぜぼさつ能以無畏のういふい施於衆生せおしゅじょう汝等若称名者にょとうにゃくしょうみょうしゃ於此怨賊おしおんぞく当得解脱とうとくげだつ

菩薩ぼさつ無畏むいもっ衆生しゅじょうほどこしたもう。汝等なんだちしょうせば、この怨賊おんぞくおいまさ解脱げだつすることをべし。


衆商人聞しゅしょうにんもん倶発声言くほっしょうごん南無観世音菩薩なむかんぜおんぼさつ称其名故しょうごみょうこ即得解脱とくとくげだつ

もろもろ商人しょうにんいてともこえはっして南無観世音菩薩なむかんぜおんぼさつわん。しょうするがゆえに、すなわ解脱げだつすることをん。


無尽意むじんに観世音菩薩摩訶薩かんぜおんぼさつまかさつ威神之力いじんしりき巍巍如是ぎぎにょぜ

無尽意むじんに観世音菩薩摩訶薩かんぜおんぼさつまかさつ威神いじんちから巍々ぎぎたることかくごとし。


今回読む部分では2つの困難な状況において、観世音菩薩の名をとなえた人が救われる様子が描かれています。

たとひとあってしはつみあり、しはつみきに、杻械ちゅうかい枷鎖かさ検繋けんげいせん。

まず一つ目は、捕らわれてしまった人について書かれているようです。「杻械ちゅうかい」は「手かせと足かせ」、「枷鎖かさ」は「手かせや足かせをつないでおくための鎖」のことを指します。「検繋けんげい」というのは、身柄を拘束して取り調べする、ということのようです。

これが、「若しは罪あり、若しは罪無きに」というのが恐ろしいですね。罪もないのに、手かせ足かせをつけられて拘束されるわけですからね…

観世音菩薩かんぜおんぼさつしょうせば、みなことごと断壊だんねして、すなわ解脱げだつすることをん。

このような場合でも、観世音菩薩の名をとなえれば、手かせ足かせが壊れて、脱出することができるようです。

三千大千国土さんぜんだいせんこくどなかてる怨賊おんぞくあらんに、ひとりの商主しょうしゅあってもろもろ商人しょうにんひきい、重宝じゅうほう齎持さいじして険路けんろ経過きょうかせん。

次に、三千大千国土(全宇宙)に満ち満ちている怨賊(恐ろしい盗賊)が一同に集まっているようなところを、たくさんの宝物を運んでいる商人たちの一団が、通過しなければいけないようです。もう、命も宝物も奪われるしかないような状況ですね…

なか一人いちにん唱言しょうごんさん。

もろもろ善男子ぜんなんし恐怖くふすることをなかれ。汝等なんだち応当まさ一心いっしん観世音菩薩かんぜおんぼさつ名号みょうごうしょうすべし。

この商人たちのなかの一人が、観世音菩薩の名を一心にとなえれば、救われることができる、と知っていて、仲間に教えます。

菩薩ぼさつ無畏むいもっ衆生しゅじょうほどこしたもう。汝等なんだちしょうせば、この怨賊おんぞくおいまさ解脱げだつすることをべし。

その人は「なぜ観世音菩薩の名をとなえると救われるのか」についても語っています。「無畏むい」というのは、「怖れがない状態」のことです。したがって、「無畏むいもっ衆生しゅじょうほどこしたもう」というのは、「衆生に対して「怖れがない状態」というご利益をもたらしてくださる」というような意味でしょうから、簡単に言えば、「観世音菩薩さまは衆生から怖れを取り除いてくださる」ということでしょう。

たくさんの宝物を持った状態で、恐ろしい盗賊がうじゃうじゃいるような場所を通り過ぎなければいけない状況というのはとても怖いことです。だからこそ、こういうときに観世音菩薩の名を一心にとなえれば、救われるはずだ、と仲間に教えたわけですね。

もろもろ商人しょうにんいてともこえはっして南無観世音菩薩なむかんぜおんぼさつわん。しょうするがゆえに、すなわ解脱げだつすることをん。

話を聞いた商人たちは、言われたとおり、声に出して一心に「南無観世音菩薩」ととなえたことによって、恐ろしい盗賊に襲われるという難から救われたようです。

無尽意むじんに観世音菩薩摩訶薩かんぜおんぼさつまかさつ威神いじんちから巍々ぎぎたることかくごとし。

「無尽意」というのは、このお経の冒頭で、「観世音菩薩さまは、なぜ「観世音」という名前がついているのでしょうか」と質問していた菩薩の名前ですね。

ここで、お釈迦さまが、観世音菩薩の不可思議な力が優れている様子について、「巍々ぎぎ」という言葉を使っています。「巍々」というのは、山が高く大きいさまを表す言葉のようです。観世音菩薩の力は、大きな大きな山のように、ありがたく強大である、ということでしょうか。

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今回は、ちょっと欲張って、いつもより長めに読んでしまいました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

良かったら、また次回もお付き合いください。

それでは、また。



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