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『ほんもの―白洲次郎のことなど―』 – 日めくり文庫本【1月】

【1月6日】

今は昔 文士気質

 古い雑誌を整理していたら、晩年の尾崎一雄氏の写真が出て来た。
 翁の面とそっくりな、実に好(い)い顔をしていられたので、とっておいたのを思い出したが、それから間もなく亡くなられた。
 生前には別に親しかったわけではなく、人から噂を聞いていただけで、下曽我に住んでいられること、小田原の近辺は梅の名所だったので、梅干を漬けることの名人で、お宅には何十年にも亘(わた)る梅干の甕(かめ)が並んでいるのが壮観だ、ということを小耳にはさんでいた。作品もあまり読んではいず、読んではいても、例の恬淡(てんたん)とした書きぶりであったためほんの少ししか記憶に残ってはいない。
 空気のいいところで、無欲な生活を送っていられたので、最後には「翁」のような顔になられたのかと、羨ましく思ったり、感心したりした。男の人はいいナ。といっても男によりけりだが、女では中々こんな人相にはなれまい。百姓のお婆さんには、稀に見かけることもないではないが、我々には先ず無理だろう。
「翁」の能は、「とうとうたらりたらりら」という水の流れのように無意味な囃子詞の間に、「五穀豊穣」と「天下太平」を祈る歌詞がところどころに交っているだけで、人間は、平和に暮らしているのが一番いいんだぞと、くり返し説いているように思われる。したがって、面白い見どころも、劇的な場面も一つもないお能であるが、年をとると、人生それで充分ではないかという気がして来る。

——白洲正子『ほんもの―白洲次郎のことなど―』(新潮文庫,2016年)91 – 92ページ


志賀直哉に師事していた尾崎一雄との思い出を語る、白洲正子のエッセイの一節。
エッセイの本題から外れているところですが、能の「翁」の鑑賞法をさりげなくに語る軽やかさにハッとさせられます。

/三郎左

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