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『人と物7 秋岡芳夫』 – 日めくり文庫本【4月】
【4月29日】
ぼくらはもしかしたら「触覚民族」
誰もが持ってる“属人器”
属人器は専門語。大工の持っている砥石や金鎚のような、人に貸さない道具を属人器というのだが……。
しっくりした属人器になるように大工は金鎚の柄を自分の手に合う太さに自分の仕事に合う長さに、自作し属人道具に仕立てあげて、人に貸すことは無い。ほかの大工も、借りようとはしない。属人器に仕立ててある借りた道具は他人好みの柄がすげてあって、とても使えたもんじゃあないからだ。
大工は砥石も人には貸さぬ。貸すと砥石の面が狂い、研ぎの調子をとりもどすのにすごく手間がかかるから。
手放したくない道具、無いと困る道具、それが属人器というわけだが、大工だけじゃない、ぼくらも、箸や茶碗を属人器扱いしている。パーソナルチェア、つまり属人椅子を欲しがったり、一戸建てに住みたがったり、マグカップをめいめい持ちにしてうれしがってる娘がいたり、ぼくらの属人器好みは相当なものだ。
なにゆえの属人器好みなのだろうか。
独断と偏見でぼくは、ぼくらの属人器好みの原因を、日本人生来の鋭い触覚によるものと信じている。言うならぼくら日本人は、触覚民族なのだ。青畳の踏み心地を楽しんで来た、足の裏にも触覚美意識のある触覚民族なのだ。手頃な長さの箸でないとメシがうまくないと触覚的に思い、手頃な茶碗でたべないメシ喰った気がしない、箸も茶碗も触覚的に吟味するクセの強い民族、とぼくは見る。
「手で見る、体で買う」より
——『人と物7 秋岡芳夫』(MUJI BOOKS,2018年)69 – 70ページ