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『徒然草』 – 日めくり文庫本【9月】

【9月22日】

 花は盛りに、月はくまなきをのみ、見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛ゆくへ知らぬも、なほ、あはれになさけ深し。咲きぬべきほどのこずゑ、散り萎れたる庭などこそ、見所みどころ多けれ。歌の詞書ことばがきにも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月のかたぶくをしたふ習ひはさる事なれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。
 よろづの事も、始め・終りこそをかしけれ。をとこをんななさけも、ひとへにひ見るをば言ふものかは。逢はでみにしさを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独り明し、遠き雲井くもゐを思ひやり、浅茅あさぢ宿やどに昔をしのぶこそ、色好いろこのむとは言はめ。望月もちづきの隈なきを千里ちさとほかまで眺めたるよりも、あかつき近くなりて待ちでたるが、いと心深こゝろぶかう青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木のの影、うちしぐれたる村雲むらぐもがくれのほど、またなくあはれなり。椎柴しひしば白樫しらかしなどの、れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて、心あらん友もがなと、都恋みやここひしうおぼゆれ。
 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去さらでも、月の夜はねやのうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへにけるさまにも見えず、きようずるさまも等閑なほざりなり。片田舎かたゐなかの人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花のもとには、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌れんがして、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。いづみには手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見ることなし。

「第百三十七段」より

——吉田兼好『新訂 徒然草』(岩波文庫,1985年改版)231 – 232ページ

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