『ゴンクールの日記』 – 日めくり文庫本【5月】
【5月21日】
五月二十一日 日曜日
ヴェルサイユ側が敗北したのではないかとおそれ、ビュルティーが二、三度繰り返した「ヴェルサイユ軍ときたら、七回も撃退された」という文句にいらだって一日を過ごしてしまった。
このさまざまな悲哀と不安の印象のもとに今晩、わたしのいつもの観測所であるコンコルド広場まで行ってみた。広場に着いたとき、数名の国民軍の兵隊に護送された一台の辻馬車が大勢の群衆に囲まれていた。
「どうしたんですか」と訊くと、一人の女が答えた。
「男の人(ムッシュー)が一人逮捕されたんですよ。馬車の戸口から、ヴェルサイユ軍が入城したぞとどなっていたんですって」
わたしはいましがたサン=フロランタン通り(北からコンコルド広場へ入る通り)で出会った少人数の国民軍兵士はいくつかのかたまりになって、まるでばらばらに行進していたのを思い出した。だがこれまで何度もだまされてきたし、あまりにもしばしば落胆させられたので、よいニュースもなかなか信用しなくなっている。とはいってもわたしは心の底から昂奮して、医学が不安感と呼んでいる病的状態ですっかりわくわくしていた。
長いあいだ歩きまわって、情報と説明を求めた……何も得られない、皆無であった。まだ通りにいる人は昨日の人に似ている。同じように落ち着きはらっているし、同じように呆然としている。誰もコンコルド広場で叫ばれた言葉について情報を知っている者はいない。またしてもデマだったのか。
結局家へ帰って落胆して寝た。眠ることはできなかった。ぴったり閉じたカーテン越しに遠くのざわめきが聞こえてくるような気がした。わたしは起きた。窓を開けた。離れた通りの舗石の上を、他の隊と交代しに行くいくつかの数が通る規則正しい足音で、毎晩おこなわれている通りの音だ。なんだ、想像から生まれたそら耳だったのか。わたしはまた横になった……しかし、今度はまさしく太鼓だった。まさしくラッパの音だ。窓辺に飛んで行った。パリ全域の非常呼集太鼓だ。そしてやがて、ラッパと喧噪と「戦闘準備」の叫びに加えて、あらゆる教会で鳴らし始めた警鐘の、大きなうねりのような悲劇的な音が聞こえてきた。——不吉な響きだが、わたしを喜びにひたしてくれた。おぞましき専制政治の断末魔をパリのために知らせてなっているのだ。
——『ゴンクールの日記(上)』(岩波文庫,2010年)534 – 535ページ
1871年のパリ・コミューン終局の始まりを告げる不吉な響き、このあと28日まで続く凄惨な市街戦は「血の週間」と呼ばれています。
十八世紀を愛した貴族出身のエドモン・ド・ゴンクールの心情は批判的なものですが、克明な描写が続いていくルポルタージュには「敗者への眼差し」が隠れているようで興味深いです。
/三郎左