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『小僧の神様』 – 日めくり文庫本【10月】

【10月18日】

さきにて

 山の手線の電車に蹴飛ばされて怪我をした。その後養生あとようじょうに、一人で但馬たじま城崎きのさき温泉へ出掛けた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者にいわれた。二、三年で出なければ後は心配はいらない、とくかく要心が肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上——我慢出来たら五週間位いたいものだと考えて来た。
 頭はまだ何だか明瞭はっきりしない。物忘れがはげしくなった。しかし気分は近年になく静まって、落ちついたいい気持がしていた。稲の獲入とりいれの始まる頃で、気候もよかったのだ。
 一人きりで誰も話相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部屋の前の椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた。散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった路にいい所があった。山の裾を廻っているあたりの小さなふちになった所に山女やまめが沢山集まっている。そしてなおよく見ると、足に毛の生えた大きな川蟹かわがにが石のように凝然じっとしているのを見つける事がある。夕方の食事前にはよくこの路を歩いて来た。冷々ひえびえとした夕方、淋しい秋の山峡さんきょうを小さい清い流れについて行く時考えることはやはり沈んだ事が多かった。淋しいかんがえだった。しかしそれには静かないい気持がある。自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ているところだったなど思う。青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷もそのままで。祖父や母の死骸がわきにある。それももうお互に何の交渉もなく、——こんな事が思い浮かぶ。それは淋しいが、それほど自分を恐怖させない考だった。何時いつかはそうなる。それが何時か?——今まではそんな事を思って、その「何時か」を知らず知らず遠い先の事にしていた。しかし今は、それが本統に何時か知れないような気がして来た。自分は死ぬはずだったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分にはなければならぬ仕事があるのだ、——中学で習ったロード・クライヴという本に、クライヴがそう思う事によって激励される事が書いてあった。実は自分もそういう風に危うかった出来事を感じたかった。そんな気もした。しかし妙に自分の心には、何かしら死に対する親しみが起こってた。

——志賀直哉『小僧の神様』(岩波文庫,2002年改版)107 – 109ページ


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