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『サイバネティックス』 – 日めくり文庫本【11月】

【11月26日】

 われわれがいま述べてきた機械は、センセーショナリストの夢でもなければ、未来の希望でもない。それらはすでに、サーモスタット、自動ジャイロコンパス操舵器系、自己推進の誘導弾——特に標的を探しながら飛んでゆくもの——、対空火器制御系、自動制御の石油分解蒸留装置、超高速計算などとして実現されている。これらは第二次世界大戦よりもずっと前から使われ始めていた——事実だいぶ昔の蒸留機関調速機もこれらの仲間である——のであったが、第二次世界大戦の大規模な機械化が、それらを一段と促進したのである。また極度に危険な原子エネルギーを扱う必要がでてきたから、それらはもっと高度の発達をするであろう。一月経つか経たぬかのうちに、いわゆる制御機構とかサーボ機構とかについて次々と新しい本が出ており、また19世紀が蒸気機関の時代であり、18世紀が時計の時代であったように、現代はまさしくサーボ機構の時代といってもよい。
 以上を要約してみると現代の自動機械の多くは、印象の受容と、動作の遂行とで下界と連絡している。これらは感覚器官・効果器・神経系に等価なものをもっており、相互間の情報の移動を全体的に統合している。それらは生物学の術語を使って記述するとぐあいのよいものである。これらが生物学と同じ機構をもった一つの理論に統合されるのはなんら奇蹟ではない。
 これらの機構の時間的関係は、注意深い研究を必要とする。もちろん明らかに、入力–出力の関係は、時間的に連続したもので、明確な過去–未来の順序をもっている。現在それほど明らかにされていないのは、感覚の自動機械の理論が統計的なものであるという点である。通信工学の方面では、ただ1個の入力に対する装置の動作に関心をもつことはほとんどないが、十分なはたらきをもつためには、それは入力全体に対し満足に動作する必要がある。これは、統計的に受信を期待される入力信号の一組に対し、統計的に満足な動作をもつことを意味する。したがってその理論は、古典的なニュートン力学よりも、ギブスの統計力学に属するものである。われわれは、通信の理論にあてる章でもっと詳細に研究することにしよう。
 このように現代の自動機械は、生物体と同種のベルグソンの時間のなかにある。したがってベルグソンの考察のなかで、生物体の機能の本質的な様式が、この種の自動機械と同じではないとする理由はないのである。機械論でさえ、生気論の時間構造に符合するというところまで、生気論は勝利を収めたのであるが、この勝利は既述のように完全な敗北であった。道徳あるいは宗教に少しでも関係のある立場からみれば、この新しい力学は古い力学と同じく完全に機械論的であるからである。われわれがこの新しい立場を物質論的と呼ぶべきかどうかはおよそ言葉の上での問題に過ぎない。物質の優位は現代以上に19世紀の物理学の一つの相を特徴づけており、“唯物論”は単に“機械論”とほとんど変わりのない同義語となった。事実、機械論者–生気論者間の論争はすべて、問題の提出の仕方が拙かったために生じたものであって、すでに忘却の淵に葬り去られたのである。

「第1章 ニュートンの時間とベルグソンの時間」より

——ウィーナー『サイバネティックス』(岩波文庫,2011年)100 – 102ページ

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