『人生、成り行き―談志一代記―』 – 日めくり文庫本【1月】
【1月21日】
談志 それはともかくネ、寄席に行って驚いたのは、そういうラジオで聴いて憧れてきた有名な噺家たち——金馬にせよ、(柳家)小さんになる直前の小三治にせよ、右女助にせよ、入れ替わり立ち代わり出てきては、客に向かってきっちり頭を下げることですヨ。それも実に綺麗なお辞儀をするんです。それだけで感動したね。寄席って凄ぇなあと思った。いまもあたしのお辞儀は丁寧でしょう? このころの影響じゃないかな。
逆に言えば、寄席のあらゆる要素に感動していました。寄席の美学に心酔していました。色物も含めたあらゆる芸人たち、落語家の紋付に角帯を締めた姿、講座の座布団、橘右近さんの書くビラ字……。ビラをこっそり千切って、教科書に貼ったものです。ついには、呼び込みしている汚いおじいさんまで好きになったもんね。あと、町歩いている人を「お、こっちは小三治に似てる。あっちは右女助だな」なんて考えては嬉しくなったり、我ながら気狂いじみてると思いましたね。
ずっと、ずっと寄席に居たい、寄席にずっと居るためには落語家になるしかない、その思いだけが強くなっていきました。十四の頃には、落語家になろうと決めてましたよ。
——で、いよいよ、小さん師匠の門を叩いた。
談志 当時好きだった噺家は志ん生、柳好、金馬。(桂)文楽師匠の噺はまだガキには無理で、わかりませんでした。若手中堅では何と言っても小さん師匠が圧倒的に好きでしたね。
噺も面白いし、清潔な感じがしました。外見だって清潔というか、毛むくじゃらだとか吹出物があるとかじゃなくて、つるつるしているからね。あの顔、つるっとして栗みたいでしょ。前座名が栗之助、当人はイヤだったみたいで、おれには「クリクリして可愛かったから栗之助とつけられたんだ」と言っていたが、嘘だい、栗に似ていたからだろ。それが証拠に、小さん師匠が軍隊にいた頃、上官にいきなりひっぱたかれたんだって。「まぬけな顔してやがる、この野郎」って。小さん師匠、「あれには驚いた」と言ってしたネ。
「第一回 落語少年、柳家小さんに入門する」より
——立川談志『人生、成り行き―談志一代記―』(新潮文庫,2010年)27 – 28ページ
あのお辞儀の丁寧さが、寄席に通いはじめたころの「感動」に影響されていたというのはサッパリしたいい話ですね。
小さん師匠とのエピソードもかわいらしい。
/三郎左