『この人を見よ』 – 日めくり文庫本【10月】
【10月15日】
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——私の著作の空気を吸うことができる人は、それが高山の空気であることを、強い空気であることを知っている。この空気にふさわしいからだ[#「からだ」に傍点]であることが必要だ。でなければ、この空気に触れて風邪をひく危険は小さくない。氷が近くにあり、孤独は底なし。——しかし、すべてのものがなんと静かに光のなかで横たわっていることか! なんと自由に人は呼吸していることか! なんと多くのものを人は自分の下にあると感じていることか!——これまで私が理解し、生きていたような哲学とは、自分から進んで氷と高山のなかで暮らすことなのだ。生活のなかで見知らぬものや疑わしいものを、道徳のせいでこれまで破門されていたものを、残らず探し出すことなのだ。禁断の国を放浪することによって得た長年の経験から、私は、これまで道徳や理想とされてきたものの原因を、世間では好ましいと思われてきた見方とはまったく別の見方で見るようになっていた。哲学者たちの隠された歴史が、哲学者たちの偉大な名前をもつ心理学が、私には明らかになった。——ひとつの精神が、どれだけ多くの真実に耐えるか、どれだけ多くの真実を口に出して言うことができるか? それが、私にとってはますます、価値を測る本当の物差しになったのである。誤り(——つまり、理想というものを信じること——)とは、盲目のことではない。誤りとは、臆病のことなのだ。……認識における成果と前進はすべて、勇気から生まれる。自分に対する厳しさから生まれる。自分に対する清潔さから生まれる。……私は理想を否定するのではない。理想に出会うと手袋をはめるだけだ。……「私たちは禁じられたものを得ようとするのです」[オウィディス『愛の歌』]。この旗印のもと、いつの日か私の哲学が勝利をおさめるだろう。これまでは原則としていつも真実だけが禁じられてきてたのだから。——
「はじめに」より
——ニーチェ『この人を見よ』(光文社古典新訳文庫,2016年)11 – 13ページ
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