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『オン・ザ・ロード』 – 日めくり文庫本【3月】

【3月12日】

 ミシガン湖から吹く風、ループ地区に鳴り響くバップ、サウスハルステッドやノースクラークあたりのそぞろ歩き。ヤバそうな地域を深夜に歩いているとパトカーがこっちを不審人物とみて尾(つ)いてきたりもした。この時期、一九四七年、バップはアメリカ中で荒れ狂っていた。ループの連中も吹いてはいたが、どこかグレたかんじがあったのは当時、バップがチャーリー・パーカーの「オーニソロジー」の時代とマイルス・デイヴィスに始まる新時代の中間で足踏みしていたからだ。バップが生みだす夜のサウンドに耳を澄まして座っていると、この国のいたるところに友人たちがいて、みんなおなじようなだだっぴろい裏庭でいろいろ必死にがむしゃらにやっているのが感じられた。そしてつぎの日の午後、生まれている初めていよいよ西部へ向かった。ヒッチハイクにはうってつけのあったかい気持ちのいい日だった。シカゴのとんでもなく複雑な交通網を避けるためにバスでジョリエットまで行き、ジェリエット刑務所の脇を歩いて、木がいっぱい生えた荒れ放題の裏通りを抜けた町外れに立つと、行き先を掲げた。ニューヨークからジョリエットまではずっとバスだったから、資金はもう半分以上使っていた。
 最初に乗ったのはダイナマイトを積んだ赤い旗をくっつけたトラックで、三〇マイル(48km)ほど広大な緑のイリノイ州を進んだ。トラック運転手は、走っているルート6がルート66と交差しているところを指したが、二本の道はそこからそれぞれ西へ途方もない距離を突き進んでいくのだ。午後の三時あたり、道路沿いの売店でアップルパイとアイスクリームを食べ終えたときに、小さなクーペに乗った女が停まった。喜び勇んで駆け寄った。しかし、中年女性で、ぼくぐらいの年齢(とし)の息子が何人かいるという母親。アイオワ州まで運転を手伝ってほしいと頼まれた。とびついた。アイオワか! デンヴァーからもそう遠くないし、デンヴァーに着いたらゆっくり休めるのだ。初めの数時間は彼女が運転し、どこでだったか、古い教会に寄りたいとツーリストみたいなことを言いだした後はぼくがハンドルを握り、運転はあまりうまくはないのだが、イリノイ州の残りを突っ走って、アイオワのダヴンポートにロックアイランド経由で入った。そこで生まれて初めて、愛しのミシシッピ川をこの目で見た。夏の霞のなか、干上がりそうで水量も少なく、まるでアメリカそのものが自分の裸身を洗っているような、むっと鼻をつくきつい匂いがした。ロックアイランド——鉄道の路線と小屋のような家々と小さなダウンタウンがあるだけの町。橋を渡ったダヴンポートもこれまた似たような町。あったかい中西部の太陽のもと、おが屑の匂いがただよっていた。女性は別な道でアイオワの家に帰るというので、ここで降りた。

第1部「3」より

——ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』(河出文庫,2010年)26 – 28ページ


トマス・ピンチョンが惹かれたという『オン・ザ・ロード』の「遠心的な誘惑」を、4回におよぶ大陸横断の「移動」や作品の通奏低音としてビートを刻む「ジャズ」に見てとることは、よく語られるところです。
フットボール奨学生としてニューヨークのコロンビア大学に入学したジャック・ケルアックのポジションが、渡されたボールを抱えながらその俊足を活かしてできるだけ長い距離を走るオフェンスの要・ランニングバック(RB)だったことは、本作のパワフルな行動力につながっている気がしています。

/三郎左

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