『グレート・ギャッツビー』 – 日めくり文庫本【9月】
【9月24日】
私がイエール大学を出たのは一九一五年である。つまり四半世紀の差で後輩になった。その後、世界大戦という遅ればせの民族大移動に参加したのだが、さすがに敵もさるもので、おおいに楽しませてもらったから、復員しても心は穏やかではなかった。のほほんと世界の中心のように思っていた中西部は、もはや辺境の荒れ地としか見えなくなって、こうなったら東部へ出て証券取引でも覚えようと考えた。みんなが行きたがる大人気の業界で、男一人なら新規参入で食っていく余地はあるだろうという計算だ。すると親戚一同が進学先の相談でもされたように頭を集め、仕方なさそうにもったいをつけて、「まあ、よかろう」ということになった。向こう一年は父が資金の面倒を見てくれることにもなり、なんやかやと予定の遅れはあったものの、これでもう東部に住みつくと決心して出たのが一九二二年の春だった。
実用だけで言えば、ニューヨーク市内にアパートを借りるのがよかったろう。しかし、あたたかくなった季節のことでもあり、ゆったり芝生が広がって、のんびりした樹木が茂る土地から来た人間でもあったから、通勤できるくらいの町に共同で家を借りようと会社の同僚に誘われると、すっかりその気になっていた。その男が月に」八十ドルという古ぼけた安普請のバンガローを見つけたのだが、土壇場になってワシントン勤務を命ぜられたというので、結局、私が一人で郊外へ出ていった。
まず犬を飼った。少なくとも何日か飼っていたが、逃げられた。車は旧式のダッジが一台。フィンランド人の家政婦が、私のベッドを整え、朝食の支度をして、電気コンロについてフィンランド語でひとりごとの理屈を言っていた。
いかにも侘しい暮らしだったが、1日か二日たった朝のこと、私よりもなお新参らしき人物に、路上で呼び止められた。
「ウェストエッグ・ヴィレッジはどっちでしょう?」と、途方に暮れたように言う。
教えてやって、また歩きだしたら、もう侘しさは消えていた。先住民として、見つけた道を教える立場になったのだ。こんな偶然のおかげで、土地になじんだような気になった。
太陽が降りそそぎ、新緑が——まるで早回し映像のように——どっと勢いを増す。ありきたりな感想かもしれないが、やはり夏に向かって生命は再生するのだと思った。
読むべき本はいくらでもあるし、若々しい息吹にふれて気力充実ということにもなって、私は金融や証券の参考書をどんどん買い込んだ。赤と金の色彩が本棚にならんで、鋳造したばかりの貨幣のようだ。古今の大富豪にも稀な、いくらでも財力を生み出せる、きらきらした秘術を、私にも見せてくれるのではないか。
「第1章」より
——フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』(光文社古典新訳文庫,2009年)12 – 14ページ