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『ジーキル博士とハイド氏』 – 日めくり文庫本【11月】

【11月13日】

ハイド氏さがし

 その夜、アタスン氏は思い屈して独りずまいの家に帰り、夕食のテーブルについたが、食欲はなかった。いつも日曜には、食後は炉端にかけて、読書机に辛気くさい神学の書などをひらき、近くの教会の鐘が十二時をつげると、顔つき厳しく、内心ほっとして、寝につくのが習慣だっった。だが、その晩は、食事の後かたづけがすむのを待って、ろうそくを灯して執務室にはいった。そこで金庫をひらき、そのいちばん秘密な箇所から、封筒に《ジーキル博士の遺言状》と上書きされた書類を取り出すと、椅子に腰かけ、眉根を寄せて、内容の検討にとりかかった。遺言状は全文本人の真筆だった。アタスン氏は、作成された遺言状の保管は引き受けたが、作成には一切手をかすことを拒んだからである。書面には、医学博士、民法学博士、法学博士、英国学士院会員、等々、ヘンリー・ジーキル死亡の節は、全財産をその〈友人にして理解者〉たるエドワード・ハイドに贈与するとあり、なおかつジーキル博士の〈失踪もしくは三か月以上にわたる理由不明の不在〉の際は、前記エドワード・ハイドが、前記ヘンリー・ジーキルの財産をば速やかに、博士宅の使用人らへの少額の支払いのほか、いかなる義務も負担も負うことなく継ぐことを定めていた。この書類はかねてから、弁護士の煩いになっていた。弁護士としてだけでなく、人の世の正気かつ通常なる面を愛し、突飛を不謹慎と心得る男としては、愉快なことではなかった。いまやとつぜん、逆に知識がとってかわったのだ。その名がただの名で、それ以上なにも知りえなかったときからすでに不快だったのが、嫌悪すべき属性がつくようになって、不快感はきわまった。長いこと視界を覆っていた、移ろい流れる茫漠たる霧のなかから、卒然、悪魔の姿がくっきりとあらわれ出たのだ。
「いままでは狂気だと思っていたが」つぶやきながら、彼は忌まわしい書類を金庫にもどした。「こうなるともう恥さらしだ」

——スティーヴンスン『ジーキル博士とハイド氏』(光文社古典新訳文庫,2009年)20 – 21ページ


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