『嵐が丘』 – 日めくり文庫本【7月】
【7月30日】
わたしの馬が、立ちはだかる門をまさしく胸先で押しだすのを見ると、氏はようやっと懐の手を抜いてチェーンをはずし、わたしの先にたってむっつりと石敷きの盛り道を歩いていき、中庭に入ったところで誰かを呼びつけた。
「ジョウゼフ、ロックウッドさんの馬をつないでおけ。そうそう、ぶどう酒でもお持ちしろ」
(ははん、この男で召使いはぜんぶなんだな)ふたつの用事をひとりの下男に言いつけたところから、わたしはそう察した。(どうりで、敷石のあいだから草が伸びほうだい。生垣の刈り込みも、もっぱら草を食む牛たちに任せているってわけか)
ジョウゼフとは年輩の、いや、年寄りの下男で、かくしゃくとして筋骨たくましいが、あれはかなりの歳(とし)ではなかろうか。
「やれやれ、主よお助けを!」ジョウゼフはむっとしたように小声で独りごちながら、わたしから馬をあずかった。そうするあいだにも、苦りきってこっちの顔を見てくるから、まあ、ここはひとつ、きっと昼に食べたものを消化するのにちょうど神様のお助けがほしかったのだろう。敬虔な言葉が口をついて出たのも、思わぬ客の到来をあてこするものではないのだと、善意に解釈することにした。
〈嵐が丘(ワザリング・ハイツ)〉というのが、ヒースクリフ氏の住まいの名称だ。“ワザリング”とは言いえて妙だが、この土地ならではの形容詞で、一天、荒れ騒ぐさまを表しており、嵐ともなれば、あの屋敷のあたりはそんな烈風に吹きさらされる。けだし、あそこの丘には、すみきって気持ちのいい風がたえず通っているのだろう。丘の上から吹きおろす北風の猛威も察しがつくというものだ。屋敷の奥にむれ立つ幾本かのモミの木が、ねじけてひどくかしいでいるのをみれば。身を寄せあうやせたイバラが、まるで太陽のめぐみを乞うて泣きついているみたいに、そろいもそろって枝を一方だけに伸ばしているのを見れば。よくしたことに、建築家はこの屋敷を頑丈に建てておく先見の明があったらしい。細長い窓はどれも壁からぐっと入りこんだ位置につけられ、大きな石が突きだして窓の隅をまもっている。
「第一章」より
——エミリー・ブロンテ『嵐が丘』(新潮文庫,2003年)6 – 8ページ
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