『コーラン』 – 日めくり文庫本【7月】
【7月19日】
そう言えば、イブラーヒムもこの一派であった。主のみもとに穢れなき心をひっさげて現われ、自分の父や一族の者に向ってこう言った。「一体何を拝んでいらっしゃるのです。アッラーをさし措いて、まやかしものの神々をおのぞみか。万有の主をなんと思し召す」
そして、きらめく星々をちらとうち見やり、「ああ、わしは病気に(なりそう)だ」と言えば、みんな彼に背を向けて行ってしまった。そこで彼は彼らの神々のところへ行き、「これ、お前たち食べないのか。これ、どうした、なんでもの言わぬ」っと、こう言って、いきなり右手を伸ばしてはっしと打ちすえた。
人々あわてふためいてとんで来た。そこで彼は口を開き、「みなさん、自分で刻んだ(偶像(でく))を拝んでなんとなさる。貴方がた御自身も、貴方がたのこしらえるものも、もとはと言えばみんなアッラーがお創りになったものではありませんか」と言った。
こうして彼らはあれに悪だくみをしかけようとしたから、それで我らが散々な目に逢わせてやった。
時にあれが言うよう、「わしは主のみもとに行こう。きっとわしを導いてくださるであろう」と。「わが主よ、義(ただ)しい人間になるような(息子)を私に授け給え。」
そこで我らはあれに賢い男の子(を授けるぞとの)嬉しい知らせを与えた。
さて、(その子が)あれのあとについてあちこち歩き廻われる年頃になった時、「これわが子よ、わしは、お前を屠ろうとしているところを夢に見た。お前どう思うか」とあれが言うと、「父さん、どうか(神様の)御命令通りになさって下さい。アッラーの御心なら、僕きっとしっかりしてみせますよ」と答えた。さていよいよ二人が(アッラーの)仰せに順うことになって、あれが(子供)を地上に俯(うつぶ)せにころがした正にその時、我らは声かけて、「やれ待てイブラーヒム、かの夢にたいする汝の誠実(まこと)は既に見えた。これは善行にいそしむ人々に我らが褒美をとらす方便であるぞ。これこそ明らかな試練(こころみ)であった」と告げ知らせ、素晴しい犠牲(いけにえ)であの子を贖ってやったその上に、後世の人々の間にまで、末永くあれのために(祝福の言葉)を留めてやった。曰く「イブラーヒムに平安あれ」と。常に我らはこのように、善功を積む人々には褒美を取らせることにしておる。それにしても、彼はほんとに信仰ぶかい男であった。
その後、我らはあれにイスハークが(生れて)預言者になり、義(ただ)しい人間になるぞ(との)嬉しい知らせを伝えた。我らはあれもイスハークも祝福してやった。だが、両人の後裔からは善人も出たかわり、また誰の目にも悪人と映るような者も出た。
「三七 整列者」より
——井筒俊彦 訳『コーラン(下)』(岩波文庫,2009年改版)46 – 48ページ