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#27 出版社ミシマ社代表・三島邦弘「全身全霊編集者」(2020.11.27&12.4)

本日は近年の出版界に一石を投じたミシマ社代表・三島邦弘さん。そう三島さんだからミシマ社であるように、この方、自分で出版社を設立しちゃったんです。今回はリモートで会議したのですが、まず背後に移る民家な様子に興味シンシン。え、これがオフィスですか?

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そう、ここは古民家を借りた京都オフィスで。オフィスは東京自由が丘にもあるんですけど、そこも築70年の古民家なんです

オフィスってもっと「オフィス!」ってものだと思うけど、こんな生活感あふれるノリで仕事になるんですか?

これがすごく仕事になるんです。スタッフは東京も京都も近所に住んでる人が多くて、僕も自転車通勤してるんですけど、そうすると出勤という行為がまさに家という建物から家という建物に移動する感じになって。そうなると日常と仕事、オンとオフを切り替える必要がなく、「仕事しよう!」っていうスイッチを入れる必要なく仕事できるんです。それは僕の仮説で言うと、ココロとカラダに負担を与えてないことになるんです
コロナではっきりしたことのひとつがそれじゃないかと思うんです。大都市は衣食住を完全に切り分けて、すべて効率を追求してたわけです。満員電車で通勤して、集中して働いて、郊外の自宅に戻る、みたいな。でもここではそれを避けたことで仕事に対する「力み」がなくなって。スポーツでも力みがあったら打てないように、平常心で仕事するからこそ自然体のチカラが発揮できるような気がするんです

そんな世に対するギモンを書籍の形で提示してきたミシマ社は現在スタッフ13人。編集者は3人で毎月1冊の刊行ペースをキープする離れ技を演じています。ただし、ハードワークかといえばさにあらず。徹夜はまったくせず、規則正しい生活を心掛ける。しっかりゴハンを食べ、睡眠をとるのが生活の基本。編集者や出版人である前に生活者であることをモットーとする「小さな総合出版社」、2006年の設立から15年がたちました。

そもそも三島さんは、なぜ自身で出版社を立ち上げたんでしょう?

これまで2つの出版社で単行本編集者として働いてたんですが、当然ながら会社と個人の想いが一致することはなく、あまりにその溝が深くなりすぎると働いてても虚しいというか。何度か話し合ったけどムリだと感じて、自分として先が見えなくなったんです。で、しばらく悶々としてたけど、ある日の夜『そうか、自分で会社を作ったらいいんだ!』ってパッと思い付いて。そんなことこれまで考えたことなかったけど、そう思い付いた瞬間、それ以外の選択肢が考えられなくなって。まわりの著者の方に相談したら、みなさんそれがいいって言ってくださって。それで迷いなく進みました

所属する会社の中で、どうしても自分の意図と会社の意図が合致しない。そんなときに出てきた選択肢=自分でやる。具体的に三島さんの中では何の不一致が問題だったのでしょう?

自分の出したい本が出せないってこともありますけど、僕は全身全霊を掛けて本を編集しているという想いがあって。でも会社にとってはたくさん出す本のうちの1冊にすぎない。そのギャップが一番です。どこまでいっても本が消費物としか見なされない風潮というか。売れた売れないだけではなく、作品がいかに長く人々の心の中に残っていくか、僕はそれが本の特性だと思うんです。野菜は「おいしいうちに食べてもらうこと」が野菜の特性を最大限に活かすことだと思うし、本は「同時代の人だけじゃなく、50年後100年後の人に届くかもしれない」という可能性を常に考えながらひとつの形に収めていく行為だと思うんです。そういうことをしようと思ったときに、出版という世界が抱えている問題がだんだん見えてきて。完全に大量生産・大量消費型。毎年出版点数は増えているのに、全体の売り上げは下がっている。つまり短期的ビジネスになってしまってるんです。ミシマ社は2006年に立ち上げたけど、それ以降もその傾向には拍車がかかってますね

著者も自身も心血を注いだ一冊が、簡単に「はい、おしまい」「はい、次」にされてしまうことへの耐えがたさ。そして三島さんは「原点回帰の出版社」というスローガンを掲げ創業します。

作者の方が身を削るようにして書いてくださっているのを知っているので、それがヘタしたら1ヶ月も経たず店頭から消えてしまうのを目の当たりにすると、自分の身体の一部がえぐり取られるような痛みを感じて。少なくともミシマ社はそういう流れも変えていきたいと思って立ち上げました

理想を掲げて会社を興した三島さん。しかし現実はドタバタだったようで。

僕は編集の仕事はできるけど、それ以外の営業や、ましてや経営なんてやったことないし、やれる気もしなかったんですけど、結果としてなんとなくやれてしまってるというか(笑)。僕、いまだに決算書の読み方もわからなくて、税理士の方に「黒字ですか赤字ですか?」って聞いて黒字ならOKっていう、そういう決算をしているんです。ここ10年くらいで小さい出版社が100社くらいできたんですけど、「あの三島でさえできた」っていうのが大きいと思いますよ(笑)

とにかく情熱で突っ走って、現実のアレコレは後から付いてくる(というか、なんとかする)……という人がイノベーターには多いですね。三島さんもそのタイプ。そういう強さと弱さの配合が、とても人間くさいんだな。

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後半戦はミシマ社が出している雑誌『ちゃぶ台』の話へ。『ちゃぶ台』って三島さんが持ってるコレですね。

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その『ちゃぶ台』創刊には中国地方が大きく関係しているんだとか。

『ちゃぶ台』は中国地方あってのものと言っても過言ではなくて。僕は6年前、山口県の周防大島を初めて訪れて、そのときマルシェに参加させてもらって感動して。そのマルシェは企業や行政を絡めず、中村明珍さんや内田健太郎さんが手作りで運営していたんです。そうやって個人の力で生産者直売所が運営できるとを知ったとき、こういう動きは全国で起こっているだろうと思って。で、「この面白さを伝えるには書籍じゃなくて雑誌だ!」って思ったんです。それまで雑誌を作りたいと思ったこともないし、作ったこともないけど、「これを伝えるのは雑誌しかない!」と思って作ったのが『ちゃぶ台』なんです

最新号『ちゃぶ台6』に参加されてるのは、山口県周防大島で農園を営む中村明珍さん、同じく同島で養蜂業に従事する内田健太郎さん、広島県三次市に暮らすマンガ家・榎本俊二さん、鳥取県智頭町で「タルマーリ」というパン屋を運営する渡邉麻里子さんなど、中国地方比率高ッ!

『ちゃぶ台』はある種のドキュメンタリーかもしれません。取材した順番、依頼した順番に記事を時系列で並べることで、編集者の視点がゆるやかに紡ぐ一本の物語ができる。さらにさまざまな紙質や印刷手法を用いることで、ネットでは得られない「手で触る本」の楽しみを実感できる。それは市場での雑誌の落ち込みが激しい中、「雑誌ってまだこんなこともできるよ!」と言ってるようにも聞こえます。

今ってみんな多数派に正解があるように思ってるけど、それは危険なことでもあると思うんです。みんな多様性多様性と言うわりには、多数派になびきがちで。各自の感覚や声を大切にして、それぞれの分野でひとつひとつカタチにしていくことで面白くなると思うんです
売れる売れないは結果でしかなくて、まずはやってる本人たちがワクワクするかって大きいと思うんです。読み手も作り手のワクワク感は感じられるはずで。人間というひとつの生き物として、想いがどれだけ出ているか。それは時代の流れとは関係ないものだと思います

紙の本を大事にする一方、ミシマ社はオンラインの活用も積極的に行っています。

「MSLive!」っていうオンライン講座は、全国の方々と同じ時間を共有しながら、空間を越えてミシマ社の著者の方々のそのとき生まれてくる話を聞いてもらえる企画です。このことで、それまで編集者しか聞けなかった話を多くの人と共有できるようになったんです。あと『ちゃぶ台』の企画会議もオンラインで公開してて。そこで読者の方にアンケートをとったり、みんなで同時に表紙デザインを見たり。オンラインのおかげで読者にも雑誌作りの過程に立ち会ってもらえるようになって、これって世界で初めての雑誌作りのスタイルだと思うんです

まさに出版という分野で「各自の感覚や声を大切にして、それぞれの分野でひとつひとつカタチにすることをや」っているミシマ社。その未来は?

「創業期から5年後、10年後、どうなってたいですか?」って聞かれたときは、「できるだけあまり考えないようにしてます。でも10年後、現時点では思ってもみないような面白いことができてたらいいなと思います」と答えてます。具体的に「コレをしよう」と決めてしまったら、そこに向かってしまうので、毎日はソレを実現するための奉仕の日々になると思うんです。目標設定するとそこに縛られて、面白い発想ができにくくなる。それより現時点の想像力では及ばないくらい「こうなってた!」ってなるくらいがワクワクして日々を過ごせるってことだと思うんです

あえて目的地を決めないことが、NOW & HEREに存分に立脚できるというポリシー。今を生きる「小さな総合出版社」、まずは目の前の本に没頭中!

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2020.11.20 on-line

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