クソリプクソコメ大臣だってみんないるのさおふくろが
2000年にほくろの除去手術を受けてらっしゃったのですね。
ChatGPTさんに「起承転結の例文をいくつか考えて」とお願いすると、こんなのを出力してきました(ちょっと人間がアレンジしました)。
起:散歩中、珍しい蝶を見つけた。
承:近づいて写真を撮ろうとした。
転:急に飛び立ち、見失ってしまった。
結:写真を見直すと、美しい羽の模様が写っていた。
起承転結でも序論本論結論でもいいのですが、文章を書くときは何らかの山谷をつけて書くと思うんです。まあ通常、最も言いたいのは結論部分であり、そこに向かっての導入や伏線、あえての迂回などをあえて設定します。で、「感想をもらえるのであれば、結論についての感想がほしい」というのはそんなに贅沢なお願いではないはず。そのうえでその他部分についての感想が付加されるのはいっこうに構わないと思うんです(あれは伏線だったのですね! 的な)。
上の例の文章と写真がアップされていたとしましょう。アップ主は「惜しかったですね。でも、本当に美しい模様ですね!」的なコメントを期待すると思うんです。しかしいろんなSNSを見ると、
・蝶と蛾の区別はですね……(以下長文)?
・写真はカメラですか? 〇〇を使ってるなら友達になりましょう
・見失ったのに写真が撮れてるのおかしくないですか?
みたいな、「起」「承」「転」の部分に、それも的外れなコメントがついているのをよく見ます。
うん、ワールドワイドウエッブの世界に何かを投げかけた以上、自分の期待するコメントじゃなくても、どんなばかばかしいコメントであっても文句は言えないと思うんです。投稿者のできることといえばそんなコメントをする人と関わらないこと。具体的にはミュートなりブロックなりということになるでしょうか。……という諦観もある一方で、
さびしいよね、そういうの。
という思いもやはりあります。知らない人だからそういうコメントできるんでしょうか。いや、知ってる人からもそういうコメントもらうことがあります。会って話しているときにそんなに空気読めない人だとは思わなくても、SNSを介するととたんに??????みたいなことを言いだす人。コメント欄を閉じればいい? それもまたさびしいじゃないですか。
完全には思い通りにはならない、それでも人の心を信用したい、そんな気持ちでSNSを使うのって、地球の重力に魂をひかれたオールドタイプの考え方でしょうか……。