妖艶なるかな“昭和”~松本清張『指』(1969)
「小説現代」昭和44年(1969)年2月号に掲載された松本清張『指』は、今日では賞味期限が切れた作品と見る向きも多かろう。
一方、『黒革の手帖』のドラマ化など、この作家に対するニーズは根強い。デジタル一色の時代に、これは不思議な現象ではないか。
主人公は、バーのホステスである。そして、登場人物は銀座のバーのマダムやそのパトロンの大阪の会社社長など。愛人を囲う社長は61歳と、当方と同年代。学生時代と大差ない生活を送る自分と比べ、なんと「大人」であることか。
そう、大人たちは秘密を持っている。それが大人の条件と言ってもよい。たまたま他人の秘密を知っても、それを守るのが大人の礼儀。個人情報保護法がなくても、お互いさまという不文律の時代。それが昭和であり、そこには「大人の世界」が確かにあった。しかし、本作がプライバシーの破綻と個人の破滅を描いているところは、はからずも昭和の「終わりの始まり」を映し出したと言えないこともない。
この物語は、同性愛を扱っている。そういった女性同士の関係を、猥雑でスキャンダラスなものと見る作家の視点を感じるが、これは時代の制約で仕方がない。
また、娯楽小説の一種ということもあって、興味本位や猟奇趣味の側面もある。同性愛もそうだし、ペット扼殺など、現代ではなかなか受け入れ難いシーンもある。
この小説家の作品には、偶然の物語が多く、この『指』もその一つ。作者自身、“偶然”を意識的に使ってこの短編を作り上げたと釈明しているらしい。私の友人の推理小説ファンは、清張作品は犯罪小説としては偶然が多用され過ぎていると批判する。
近年、当方が清張を読み返すのは、ミステリー作品としてではない。ただただ、昭和がなつかしいのである。同性愛に対する偏見、銀座のクラブ、金持ちのパトロン。善し悪しはあるものの、昭和を表す要素だ。欲にまみれていても、どこか品位が保たれている。特に、エレガントな女性たちの繰り広げる愛憎関係は妖艶そのものである。作品が喚起するイメージは、インターネット時代とは相容れない。
松本清張氏は昭和を代表する大ベストセラー作家である。作品の多くは大衆小説に属する。純文学系の高名な某小説家が、清張作品には「文体がない」と評したそうだ。凡庸な一読者である当方にとっては、どうでもいいご指摘である。ただし、通俗小説を得意とするといっても、松本氏が芥川賞作家であることを忘れてはならない。